佐渡島庸平(コルク代表)
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AIを味方につける人と、そうでない人の差
新しくリリースされた『Chat-GPT4』が大きな話題を集めている。
Googleの検索によって、暗記量がものを言う時代は終わり、集めた情報から何を導き出すかが重要な時代へと変わった。そして、AIが膨大な情報を整理し統合する精度が高まると、どんな時代がやってくるのか。全く新しい時代が始まろうとしている。
ひとつ現時点で確実に言えるのは、「問い」を立てることがより重要な時代になるだろう。
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クリエイターにとって、「ゾーンに入る」技術とは何か
スポーツの世界でよく語られる「ゾ―ンに入る」という言葉。
日本語だと「無我」「忘我」という表現の状態。
極度のストレスがある状況下で、どうやって緊張感をコントロールし、集中力のスイッチを入れるのか。一流のアスリートたちはゾーンに入るために、どんな工夫をしているのか。
ビジネスマンやクリエーターにも、ゾーンの入り方がわかると役立つと思って、前回、『Badを食わせるが、学びたい気持ちを育む』という
執着を手放すための「お布施」という行為
仏教には「色即是空」という言葉がある。
すべての形あるもの、物質的なものは、その本質においてはどれも実体がなく、「空(くう)」であること。それゆえ、なにものにも執着する必要はないという考えだ。
この世の物事は全てが移ろう。だから「絶対」など存在しない。現在ここに確実に存在しているように思える「私」でさえ、絶対ではない。様々な物事との関係によって、そう感じられているだけだ。
こうした仏教的な考
気にしすぎな人、だからこその”強み”とは
自分の言動が周囲からどう思われているのかが気になってしまい、心が休まらず、気疲れしてしまう。こんな風に「気にしすぎ」な性格の人が、実はマンガ家に多い。
気にしすぎな人は圧倒的に思慮深い。「気にしすぎ」とは、ある出来事に対して様々な側面から考えることができたり、他者のことを深く考え、慮ったりすることが自然とできている証拠だ。
そうした思慮深さは作家にとって何よりも大切なことであり、「気にしすぎな
今でも忘れられない、新人研修での社長の言葉
人は人との出会いによって、変わっていく。
最近、コロナがあけてきて、みんなの行動が変わり、人と会う量が増えてきてるように思う。コルクのメンバーが社外の人と会い、打ち合わせしてる様子を見ながら、なんだか嬉しい気持ちになる。同じことが、子どもにも言える。家の外で活発にしているのを見ると幸せな気持ちになる。
それで、ふと自分の新入社員の時のことを思い出した。新卒で入社した講談社の新人研修で、当時の社
その人がスゴイのは、才能ではなく“経験の差”
ぼくは講演会の依頼を受けることが多く、大勢の人前で話す機会がよくあるのだが、緊張することはほぼない。
どんなに会場の人数が多くても、どんなに与えられた時間が長くても、原稿を用意することはない。相手の聞きたいテーマに合わせて、いくらでも話せる自信がある。
たまに、「どうしたら、そんなにスムーズに人前で話せるようになるんですか?」と聞かれることがあるけれど、なんてことはない。何度も何度も人前で講演
自分を客観視する鍵は、「脳内会話」の視点にあり
クリエイターにとっても、編集者にとっても、いかに自分を客観視し、自己認識を高めていくかは重要なポイントだ。
以前、『創作に携わる者として、どう自分を客観視するか』というnoteを書いたが、自分を客観視する方法のひとつは、自らのアウトプットと他者からのフィードバックの観察だ。
自分向け、外向け。音声、文章。短い、長い。これらを組み合わせて、様々な形でアウトプットを試み、他者から積極的にフィードバ
「本物」と思えるものと、ただ「上手い」だけの差は何か?
何かを見たり、聞いたりした時に、「これは本物だ」と、否応なく感じる時がある。
この「本物だ」という感覚は何なのか?「本物」とそれ以外を分けるものはなんなのか。さらに、技術が高く、簡単に到達できない作品でありながら、「上手い」とは感じるものの、「本物」だとは思わない時がある。なぜその作品、作家は、「上手い」を超えれないのだろう。
クリエイターや作品を見極める編集者として、この問いによく向き合う。
「Badを食わせる」が、学びたい気持ちを育む
どうやったら、『学びたい』『自らを成長させたい』という気持ちを自然と育むことができるか。
育成に関わるなかで、ずっと考えている問いだ。
以前、『目標を自分ごとにする鍵は、振り返り』というnoteで、上司はメンバーの「目標設定」「目標管理」ではなく、「振り返り」に寄り添うことが大切ではないかと書いた。
振り返りを行うと、様々な感情を認識することができる。喜びや憧れもあれば、迷いや不安もある。そ
「言葉」をそろえるために、「動作」からそろえる
「チームとして戦っていく」
そのことをすごく意識している。
以前に投稿したnoteで、仲山進也さんが書いた『アオアシに学ぶ「考える葦」の育ち方』の内容を引用し、チームの思考力を高め、意思疎通が成立したチームワークを生むには、3つの「そろえる」が大事という話を書いた。
この「頭(解釈)をそろえる」というのが難しい。会話をして、そろえていくしかない。しかし、言葉がずれる。会話して、わかりあったは
他者と関係を深めるための、「期待」のあり方とは何か
「人を育てるとは、期待しないこと」
一昨年、このタイトルのnoteを書いた。「これくらいの成果を出してほしい」「ここをもっと伸ばしてほしい」と思っている段階で、自分勝手に都合よく相手をコントロールしようとしている。それは、期待ではなく、巧妙な管理はないか。それを「期待」という言葉に包んでしまっていないか。
どうやって期待を手放し、相手を信頼し、見守るに徹するか。ぼくのnoteでは、この問いにつ
私はどこから来たのか、私は何者か、私はどこへ行くのか
自分にとって、今年はどんな一年だったかを振り返っていきたい。
ぼくは小学生の頃からずっと「自分は何者なのだろう?」と問い続けてきた。そして、「何者かにならなくてはいけない」と自分で自分で駆り立ててきた。
灘に行っても、東大に行っても、講談社に行っても、起業しても、ぼくは自分が何者かわからなかった。プロフィールに書く言葉は手に入る。でも、何者かであるという実感が手に入らない。そして、今年は何者か
無意識に生じる「被害者意識」を、どう捨てるか
平野啓一郎の「分人主義」とともに、ぼくの人生観やものごとの考え方を大きく変えたものがある。
アドラー心理学だ。
アドラー心理学では「他者は仲間である」と認識することが重要だと言う。人は他者に対し基本的には悪意を持っていないし、こちらが悪意を持たなければ、仲間になれる可能性がある。
この時に必要なのは「自分が変わらなければ、相手も変わらない」という考え方だ。相手は自分の仲間なのだと信頼し、自ら
今年を象徴するテーマ「喪が明ける」
「作家は炭鉱のカナリアである」
これは、ぼくの大好きな作家であるカート・ヴォネガットの言葉だ。
昔、イギリスやアメリカの炭鉱員が地下に降りるとき、行列の先頭の人はカナリアのカゴを持って炭鉱に入った。カナリアは人間に感知できない無色無臭の有毒物質に反応する。カナリアの歌声が止まることは、炭鉱内に有害ガスが蔓延していることを意味し、炭鉱員たちはいち早く危険地域を避けることができた。
カート・ヴォ