佐渡島庸平(コルク代表)
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まきこまれ上手こそが、人生をより楽しめる
新しい視点を得るために、普段とは違うポジションの経験は重要だ。
そうした話を、先日『見えないものに気づく、大胆なポジションチェンジ』というnoteに投稿した。
物事を見る枠組み(フレーム)を変え、違う視点で捉え、新しい発見や学びを得る。そうすることで、得られるインプットの量と質が変わり、価値基準が磨かれることで、アウトプットに大きな変化が生まれる。
いかに視点を固定化せずに、枠組みに揺さぶり
他者の足跡を追うことで、自分は何者かを知る
「成長し続けることが重要」という考えは、一般的なものにみえる。だが、人生において大切なのは、成長よりも「成熟」だと考えている。
ぼくが考える成熟とは、社会が求める基準を手放し、自分なりの基準を手にいれ、それを楽しみながら追求することだ。
成長は数値で測ることができるが、成熟は数値で測る事ができない。成長は一方向に加算的に進むものだが、成熟は多方向に広がり、時に矛盾を抱えるものだ。成熟とは、その
どういう“枠組み”を持つと、自分を夢中にできるか?
“今後……二度と「頑張る」とは言わない。
「全力」「がむしゃら」「必死」。これらの言葉も今後使わない。”
『ドラゴン桜2』で、桜木は生徒たちに向かって、「頑張る」という言葉を口にすることを禁じる。
「頑張る」は精神的興奮で課題克服を図ろうとする勢いだけの感嘆符でしかない。「頑張る」という言葉は使わずに、「なんのために、何をするか」を考えて、機能的に話すことを習慣にしようと、桜木は言う。
自分
見えないものに気づく、大胆なポジションチェンジ
何かが「無い」ことに気づくことができても、何かが「ある」ことに気づくのは難しい。
ありがたいのだ。
ひとり暮らしをして、はじめて親のありがたみを知るように。
海外旅行に行って、はじめて日本のインフラの利便性、文化の豊かさを知るように。
あることの存在に気づくには、「視点」を変えるしかない。
例えば、妻に遠出の予定が入り、ぼく一人で子どもたちを見ないといけない時、普段は気づけなかったことが沢
作品づくりの“根っこ”にある、南アフリカでの3年間
「どんな作品を、自分は世に送り出したいのか?」
編集者という仕事をする中で、何度も繰り返し考えている問いだ。
流行っている多くの作品は、刺激を前面に押し出しいる。ハラハラさせる状況に読者を追い込み、続きを見たくさせる。刺激で釣るだけの作品は、時間は潰せる。心には残らなくて、また違う刺激物へと読者はすぐに移ってしまう。
それでも、一時的であっても読者を熱狂させられるのであれば、それはそれで価値
「欠点」と「弱点」の違いと、それぞれの向き合い方
世の中には、似たような意味合いだが、実は使い方がずいぶん違う言葉がある。
そのひとつが、先週のnote『子どもに“委ねる“覚悟と、子離れの難しさについて』で触れた「任せる」と「委ねる」だ。前者は信用が背景に、後者は信頼が背景にあり、相手への向き合い方が全く違う。
他の例で言えば、「修行」と「修業」という言葉もそうだ。
多くの人は「修行」という言葉を使う時、何かしらのスキルを獲得するために鍛錬
子どもに“委ねる“覚悟と、子離れの難しさについて
期待を手放し、相手を信頼し、ただただ見守る。
子育てをしていると、この「見守る」について、たびたび考えさせられる。そのことを、ぼくのnoteではこれまでに何度も書いてきた。
ぼくのnoteを定期的に読んでくれている人なら、我が家の息子たちの不登校ぶりについてはお馴染みだろう。ウチには3人の息子がいるが、誰かが学校に行き出したら、誰かが学校に行かなくなる。
不登校が悪いことだとは思っていない。
どんな世界でも、「やりすぎる」は体現できる
コルクでは、行動指針のひとつに「やりすぎる」を掲げている。
新人時代は、とにかく「スピード」をやりすぎる。スピードが早まってくると、「量」をこなせるようになる。スピードに慣れ、長時間労働でなくても量ができるようなると、「質」を追求する余裕が生まれる。
スピード、量、質。
この順番で「やりすぎる」を意識していくのが、自分を成長させていくうえで一番いいのではないか。そうした仮説を持っていることを
目には映らない、街に漂う「文化の香り」
先日、アブダビに出張し、数日間滞在した。
アブダビといえば、中東でも屈指の近代都市だが、ここ近年の都市開発の熱量は凄まじい。特に目を惹くのが、観光都市への投資だ。
なかでも有名なのが、2017年にオープンした『ルーブル・アブダビ美術館』だろう。フランス政府公認のもので、ルーブルの名を冠したミュージアムがフランス国外で誕生したのは、アブダビがはじめてだ。
UAE政府は「ルーブル」の名を冠する対
型を固めることで、「オルタナティブ」は生まれる
どうやって編集者が育つ組織をつくりあげていくか?
ぼくのnoteで何度も触れているが、コルクの経営者として、いま最も力を入れていきたいテーマだ。
そして、その取り組みの一環として、編集者としての実務における知見を型化して、共有する試みをはじめている。このことは『編集者が育つ環境を整えるべく、自分の「べき」を棚卸し』というnoteに詳しく書いた。
例えば、取材対象者へ依頼メールを送る際には、ど
コルクが目指す創作とは、「ネタづくり」ではない
先日、映画『PERFECT DAYS』の共同脚本・プロデュースを担当した高崎卓馬さんと対談するイベントに登壇した。
その際、高崎さんが話してくれた内容で、とても印象的だったものがある。
山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』に関するエピソードだ。
山田監督と言えば、『男はつらいよ』シリーズや『たそがれ清兵衛』などで知られる映画監督だが、代表作のひとつに1977年に発表された『幸福の黄色いハン
編集者自身の世界を変える、作品づくりのあり方
「物語の力で、一人一人の世界を変える」
このミッションをコルクでは掲げているが、自分の世界を大きく変えてくれたと感じられる物語と、人は生涯でどれほど出会うのだろうか。
ぼくの場合、遠藤周作との出会いが、物語によって自分の世界を変えられた原体験だ。小学生の頃に『沈黙』を読んで以来、小中学生時代は遠藤周作の作品にどっぷり浸った。
遠藤周作の多くの小説で主題として描かれているのは、人間の根本的な「
自分のポジションを手放す、大切さと難しさ
どうやって編集者が育つ組織をつくりあげていくか?
新年投稿した『コルクで実現したい、編集者集団の在り方』というnoteにも書いたが、コルクの経営者として、いま最も力を入れていきたいテーマだ。
人は環境によって育てられる。環境が変わると、環境から受け取る影響によって、それぞれの行動が変わる。「コルクらしさ」が発酵されるような環境とは何か。その発酵がうまく進むような仕組みとは何か。
それを考える
自分を知る手掛かりとして、物語を読み返す
ぼくのnoteでは「自分を知る」ことの重要性を繰り返し書いてきた。
何に喜びや安心を感じ、何にストレスや不安を感じるか。それは人によって全く異なる。だから、はじめから万人にとって「居心地のいい居場所」なんてものは存在しない。
自分がいる場所を「居心地のいい居場所」にしていくには、「自分にとって“居心地がいい”とは何か」を知る必要がある。
そして、それぞれが自分の居心地について理解し、お互いに共
異なる世界観に気づき、どう受け入れていくか
見えないものは、記録に残らない。
けれども、社会を本当に動かしてきたのは、見えないものではないか。
見えないものの代表格のひとつは「感情」だ。
人間は論理だけで行動する生き物じゃない。歴史を作ってきた人たちの決断の裏側には、どのような出来事があり、どのような感情があったのか。歴史の教科書の隙間からこぼれ落ちている感情を想像しようとしたら、急に歴史を学ぶのが面白くなった。
見えないものの、もう
編集者が育つ環境を整えるべく、自分の「べき」を棚卸し
ぼくにとって、アウトプットとは、自分の思考を整理し深める行為だ。
本を書く行為も、そのひとつ。
既に明確な答えがあるものを原稿としてまとめるのではなく、ぼんやりと考えていたことへの解像度を高めていく。「わからないけど、わかりたい」と感じている対象について、具体と抽象を何度も行き来しながら、考えを少しずつ煮詰めていく。
noteを書く行為にしても、Voicyで発信する行為にしても同様だ。
自