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「変化の激しい時代」という言葉への違和感

思考は言葉でできている。だから、思考を深めるためにできることは、一つだけ。言葉を精査することだ。

以前に『思考停止を促す言葉を使わない』というnoteを書いたが、世の中には、意識せずに使うと思考停止を促す言葉が幾つかある。ぼくのnoteでは、そうした言葉たちについて何度か紹介してきた。

例えば、「頑張る」や「覚悟を決める」は、そうした言葉の代表格だ。

これらの言葉は、精神的興奮で課題克服を図ろうとする勢いだけの感嘆符でしかない。本当に課題を克服したいと思うなら、自分の現状や課題への解像度を高めて、もっと具体性のある言葉を使ったほうがいい。

課題に対する解像度が低い状態であれば、そのことを素直にさらけ出して、周りに相談したほうがいい。「覚悟を決めます」「頑張ります」といった言葉に逃げ込んで、自分を追い込んでも、大したものは生まれないと思う。

だから、こういった言葉を日常で使いそうになったら、課題を雑に捉えている証拠だと思い、少し立ち止まって考えてみるようにしている。

先日、雲孫財団のメンバーと話をしていて、「変化の激しい時代」という言葉も思考停止させる言葉かもしれないと気づいた。

変化の激しい時代。ビジネス本やニュースを見ていると、よく目にする表現だ。似たような表現で、「不確実性が高い時代」「VUCA」といった言葉もよく見かける。

そして、変化の激しい時代だからこそ、「これをしなければならない」「あれをしなければ遅れを取る」といった、不安を煽るようなメッセージが次々と登場する。そうしたメッセージに囲まれていると、焦りを感じたり、先行きに不安を抱える人も少なくないだろう。

だが、歴史を振り返ってみると、どの時代においても激しい変化は訪れていた。なぜなら、人間社会というのは常に変化の連続だからだ。

例えば、第二次世界大戦前後の1930年代から50年代に生きていた人たちは、現在よりも圧倒的に変化が激しい時代を生きていたと思う。

国全体が戦争に巻き込まれていくなかで、多くの人々が生活の変化を余儀なくされた。戦争が終わった後も、アメリカの占領下での新しい政策や改革が次々と導入され、社会全体が急速に変わり続けた。

確かに現代社会の変化のスピードは速いのかもしれないが、そういう時代があったことを考えると、どちらの変化が早いかは一概に言えない。

そして、「変化の激しい時代」と騒いでいるのは、実は30代以上の大人たちだけではないかと思う。なぜなら、子どもたちが「今は変化の激しい時代だから、勉強をしっかりやらなきゃ」と話しているのを聞いたことがないからだ。このことを指摘してくれたのは雲孫財団のメンバーで、「確かにそうだな」と衝撃的な気づきだった。

当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなった時、人は変化を感じる。その感覚を持てるのは、様々な経験を通して、自分なりの常識を育んできた大人だけだ。その常識が凝り固まり、自分とは違う価値観や生活様式をもっている人たちをみると、激動の時代だと感じてしまうのではないか。

昔から「最近の若者は」と言っていたように、ある程度年をとった人たちが、「変化が早い」と言い続けてきたのではないか。同時に、「変化の激しい時代」とメディアが騒ぎ立てているのも昔から続けていることで、メディアは中年が自分の感覚を開示している場所なのではないか。

変化が激しい時代というのは、当たり前のことで、そこに動じる必要はない。人間社会とはそういうものだと構えて、その変化をじっくりと観察していくことが大切なのではないかと思う。

孔子の『論語』で、40歳で「不惑」になるという言葉がある。

これは社会の様々な変化をありのままに受け止めることではないだろうか。そして、様々な変化があることを前提に、自分のなすべきことと向き合う。それが、ぼくが辿り着きたい不惑の境地なのだと改めて感じた。


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