佐渡島庸平(コルク代表)
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繰り返しの中に見出す、満たされる喜び
ぼくにとってのマドレーヌは、チューペットだった。
プルーストによる小説『失われた時を求めて』では、マドレーヌを食べた時の衝撃をこんな風に表現している。
ここまで、衝撃的な感覚ではなかったが、同じようにぼくの中を幸福感が満たしていることに気がついた。
息子と一緒にお風呂に入っている時のことだ。
暖かくなってくると、お風呂でアイスを食べる。ぼくがアイス好きなのもあるが、お風呂に入りたがらない息
打ち負かすのではなく、調和の道を探るとは何か
今さら語らずとも、みんな知ってることだと思うのだが、歴史は学びの宝庫だ。歴史上の人物たちが、どのような葛藤を抱え、それにどのように立ち向かい、どのように生きたのか。
マンデラは、刑務所の中で白人のことをどう思ったのか。
利休は、どんなことを思いながら切腹したのか。
持統天皇は、どんな日本の姿を想像したのか。
こうした「問い」は、歴史上の年表や事件をただ覚えるだけだと湧き起こらない。偉人たちの物
「才能」と「能力」を分けて考える
「才能」とは果たして何だろうか。
編集者とは、新しい才能を発掘し、その才能が世の中に羽ばたく手伝いをする職業だ。才能取扱業と言ってもいいかもしれない。だからこそ、プロスポーツチームのスカウトのように才能を見極める力が重要であり、それをどう養っていくかを長年考えて続けてきた。
新人作家の才能を見極めるには、ぼく常々、観察力だと言ってきた。キャラクターの魅力、ストーリーテリングの巧妙さ、絵のテクニ
AIが発展するなかで、編集者が担うべき領域とは
AIが発展していくなかで、創作のあり方はどう変わるのか。
先日投稿した『AIを味方につける人と、そうでない人の差』というnoteにも書いたが、AIがどれだけ優れた知性や膨大な知識をもっていても、自分からうまく問いかけていかなければ、何かを引き出すことはできない。
ここ最近、AIの強みや特性への理解を高めるためにも、Chat-GPTを相手にした創作の打ち合わせに本腰を入れて取り組んでいる。
や
「自分は何者であるか」を導く本質的な問い
「私はどこから来たのか、私は何者か、私はどこへ行くのか」
昨年末に1年の振り返りとして、このタイトルのnoteを投稿した。
ぼくは昔から「自分は何者なのだろう?」と自分に問い続けてきた。そして、「何者かにならなくてはいけない」と自分で自分で駆り立ててきた。
灘に行っても、東大に行っても、講談社に行っても、起業しても、ぼくは自分が何者かわからなかった。プロフィールに書く実績や肩書きは、手に入る
次の世代のために、ゼロに戻す行為の尊さ
自分は次の世代に何を引き継ぎたいのか。
以前に『人生を通じて、自分は何を「引き継ぎ」たいか?』というnoteを書いたが、40歳を超えて、人生の折り返し地点が見えはじめた辺りから、この問いについて深く考えるようになった。
その背景のひとつに、福岡に移住してから関わっている『雲孫(うんそん)財団』の存在もあると思う。雲孫という言葉は、自分から数えて九代目の子孫を指していて、雲孫のためになる活動をコ