佐渡島庸平(コルク代表)
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私はどこから来たのか、私は何者か、私はどこへ行くのか
自分にとって、今年はどんな一年だったかを振り返っていきたい。
ぼくは小学生の頃からずっと「自分は何者なのだろう?」と問い続けてきた。そして、「何者かにならなくてはいけない」と自分で自分で駆り立ててきた。
灘に行っても、東大に行っても、講談社に行っても、起業しても、ぼくは自分が何者かわからなかった。プロフィールに書く言葉は手に入る。でも、何者かであるという実感が手に入らない。そして、今年は何者か
無意識に生じる「被害者意識」を、どう捨てるか
平野啓一郎の「分人主義」とともに、ぼくの人生観やものごとの考え方を大きく変えたものがある。
アドラー心理学だ。
アドラー心理学では「他者は仲間である」と認識することが重要だと言う。人は他者に対し基本的には悪意を持っていないし、こちらが悪意を持たなければ、仲間になれる可能性がある。
この時に必要なのは「自分が変わらなければ、相手も変わらない」という考え方だ。相手は自分の仲間なのだと信頼し、自ら
今年を象徴するテーマ「喪が明ける」
「作家は炭鉱のカナリアである」
これは、ぼくの大好きな作家であるカート・ヴォネガットの言葉だ。
昔、イギリスやアメリカの炭鉱員が地下に降りるとき、行列の先頭の人はカナリアのカゴを持って炭鉱に入った。カナリアは人間に感知できない無色無臭の有毒物質に反応する。カナリアの歌声が止まることは、炭鉱内に有害ガスが蔓延していることを意味し、炭鉱員たちはいち早く危険地域を避けることができた。
カート・ヴォ
創業から10年。目指す経営者像が全く変わった
コルクを創業してから10年が経った。
この10年で、僕の中で経営者像が大きく変わった。創業当時、経営者とは何をする人なのかを僕は全くわかっていなかった。今もわかっているかはわからない。でも、10年前の自分は、全くわかっていなかったことだけは、わかるようになった。同様に、「リーダーがどんな存在なのか」も、以前とは全く違う考え方をするようになった。
創業時からコルクは、「プロフェッショナルな編集者
「わかった」はコミュニケーションの失敗
「わかる」という概念について、考え続けている。
まず、「わかった」という言葉を、自分に向けて使う時と他者とのコミュニケーションで使う時の2パターンにわけたい。
まずは、自分に向けての、内省的な「わかった」。
以前、こんなnoteも書いた『人生の推進力は、勇気ではなく、わかったつもり』。本当に何かをわかりきるなんてことはない。常に「わかったつもり」でしかない。
その「わかったつもり」の時に、
編集者とは何か。その定義を改めて更新
“わからないこと、あいまいなことを、そのまま伝えている作品を、ぼくは編集したい”
『観察力の鍛え方』の本の最後に、ぼくはこう書いた。
人間は誰しもが矛盾や葛藤といった明確に割り切れない「あいまいさ」を抱えながら生きている。ぼくはその「あいまいさ」に触れることが人間を知ることだと思っているし、「あいまいさ」を味わい尽くすことが人生を楽しむことだと考えている。
そして、文学とは人間が抱える「あい