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編集者とは何か。その定義を改めて更新

“わからないこと、あいまいなことを、そのまま伝えている作品を、ぼくは編集したい”

『観察力の鍛え方』の本の最後に、ぼくはこう書いた。

人間は誰しもが矛盾や葛藤といった明確に割り切れない「あいまいさ」を抱えながら生きている。ぼくはその「あいまいさ」に触れることが人間を知ることだと思っているし、「あいまいさ」を味わい尽くすことが人生を楽しむことだと考えている。

そして、文学とは人間が抱える「あいまいさ」をそのまま描き、同じような「あいまいさ」を抱えている人に寄り添っていく。本質的な文学は、登場人物の葛藤の体験が、そのまま読者に移転する。

ぼくはいつも人生が一回限りで、自分の視点からしか人生を味わえないことを残念に思う。その一回性に抗おうとする行為が、文学を味わうという行為だと思っている。そして、それを編集者という立場で、作家とともに試行錯誤しながら味わうほうが、より深く感じ取ることができるだろう。

いまの時代、ものごとを明確にしようとする「ORのプレッシャー」がすごく強い。

誹謗中傷は「A or B」の選択のなかで、自分の選択を他者にも強要し、社会を良くしようとする行為だ。誹謗中傷をしている人は、正義という名の下で行なっているから、自分の行為を攻撃だとは思っていない。

仕事においても、あいまいさを極力排除すべきという空気がある。素早く判断し、白黒をつけ、明確な指示を与えられる人がデキる人だとみなされる。

ある種、「あいまいさ」を許容するとは、こうした「ORのプレッシャー」に抵抗する行為だ。選択を迫るのではなく、対立や矛盾するかもしれないAとBの両方に受け入れ、その「間(あいだ)」にあるものについて考えていく。

そう考えると、編集とは「間(あいだ)」について考えることに等しい。

この「間(あいだ)」という概念は、編集工学者の松岡正剛さんの塾に通ってから、ずっと考えてきた概念だ。以前投稿した『具体と抽象を行き来する鍵、”AIDA(あいだ)”』に詳しく書いたが、松岡さんの塾では「AIDA(あいだ)」という概念をものすごく大切に捉えている。

人と人、物と物、人と物、人と事。その「間(あいだ)」を見ようとすると、両方を俯瞰をして眺めないといけない。そして、「間(あいだ)」とは目に見えないものなので、自然と抽象度も高まっていく。

具体と抽象を行き来する鍵として、松岡さんの塾を通じて「間(あいだ)」という概念について考えてきたが、これは編集という行為そのものに当てはめることができる。

これまで様々な取材の場で、「編集とは何か?」「編集者の役割とは何か?」といった質問に答えてきたけど、ようやく自分の中でしっくりとした答えが見つかったように感じる。

編集とは「間(あいだ)」について考えること。そして、編集者とは「間(あいだ)」に立つ人のことだ。

ぼくは作者の主義主張が強い作品があまり好きじゃないのだが、こう考えると納得できる。主張が強い作品とは、AかBかの選択において「Aが正しいはず」というスタンスで、「間(あいだ)」がないからだ。

人によっては「作者の主張を伝えるサポートをするのが編集者の役割だ」と唱える人もいるだろう。だが、ぼくは編集者人生を通じて、作家と一緒に、様々な「間(あいだ)」について考えていきたい。これが、僕が目指す編集者のあり方だ。


今週も読んでくれて、ありがとう!この先の有料部分では「最近読んだ本などの感想」と「僕の日記」をシェア。日記には、どんな人と会い、どんな体験をし、そこで何を感じたかを書いています。子育てをするなかで感じた苦労や発見など、かなり個人的な話もあります。

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佐渡島庸平(コルク代表)

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