佐渡島庸平(コルク代表)
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気づいた時には、もういない。その繰り返し
「わかりあえなさへの抗い」
人と人とは、わかりあうことなんてできない。それでも、わかりあいたいともがく。ぼくが心を動かされる作品には、多かれ少なかれ、この主題が共通して描かれている。
平野啓一郎の最新作『本心』も、わかりあえなさへの抗いを描いた物語だ。
「もう十分に生きたから」といって自由死を願う母親の嘆願を、主人公は受け入れられないいまま、母親を突然の事故で失ってしまう。「なぜ、母は自由死
具体と抽象を行き来する鍵、”AIDA(あいだ)”
物語が生まれる時、作家の頭で起きていることは何か?
それは、具体と抽象の行き来だ。
物語だけじゃない。何かのアイディアが生まれる時は、具体と抽象の行き来が、すごい回数起きている。
編集者とは、その具体と抽象の行き来をサポートする仕事だ。
打ち合わせで、相手の言ってることをオウム返しすることもあるが、具体度・抽象度をズラして、答える。それが思考を揺さぶる。だから、経営者からも壁打ち相手を希望
「未来は変えられる」という意志を手放すこと。
「俺の敵はだいたい俺です」
『宇宙兄弟』のムッタのセリフだ。観察について思考し、バイアスについて考えれば考えるほど、この言葉の深さを感じずにはいられない。
世界の観察を妨げているのは、まさに自分の脳だからだ。
ぼくらは観察する主体であるとともに、観察される対象の一部でもある。だから、自分自身を客観的に観察するのは難しい。
それを実感するひとつの例として、『観察力の鍛え方』の本では、自然保護
第十章 具体の観察力
僕たちは生きている中で自分の言葉が相手に通じない経験をたくさんする。それはそこに「ズレ」があるからだ。しかし、ズレに気づきながらも、それを深堀りすることはほとんどない。僕はそのズレは、世の中をみる解像度が違うことで生じると思っていた。でもそうではなかった。
細谷さんの『具体と抽象』を読んで、通じなさを生むのは、解像度ではなく抽象度だと気づいた。
今回、細谷さんと対談を通して「ズレ」についての深堀
第九章 現在と過去、成功と失敗
僕たちは生きている中で自分の言葉が相手に通じない経験をたくさんする。それはそこに「ズレ」があるからだ。しかし、ズレに気づきながらも、それを深堀りすることはほとんどない。僕はそのズレは、世の中をみる解像度が違うことで生じると思っていた。でもそうではなかった。
細谷さんの『具体と抽象』を読んで、通じなさを生むのは、解像度ではなく抽象度だと気づいた。
今回、細谷さんと対談を通して「ズレ」についての深堀
「これってパワハラ?」の正解がない時代の道標。
時代が変われば、価値観も変わる。
自分にとって「当たり前」だと思ってきた働き方や考え方は、もはや通用しない。そう理解し、今の時代に寄り添いたいと必死に努力をするも、いつも空回りをしてしまう。
そんな中高年の悲哀が描かれているのが、『ティラノ部長』だ。
自分にとっては「優しさ」だと思っていたことが、逆に「パワハラ」になってしまう。こうした価値観の変化への戸惑いは、若い頃に強烈な成功体験をもって