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第十章 具体の観察力

僕たちは生きている中で自分の言葉が相手に通じない経験をたくさんする。それはそこに「ズレ」があるからだ。しかし、ズレに気づきながらも、それを深堀りすることはほとんどない。僕はそのズレは、世の中をみる解像度が違うことで生じると思っていた。でもそうではなかった。

細谷さんの『具体と抽象』を読んで、通じなさを生むのは、解像度ではなく抽象度だと気づいた。
今回、細谷さんと対談を通して「ズレ」についての深堀りを沢山した。
その内容が『言葉のズレと共感幻想』という本になって年内に出版される。
僕のブログで1章ずつ先出し公開中。

立ち止まる練習

細谷 佐渡島さんは、新しい企画の仮説を立てるとき、意識して観察しているんですか。

佐渡島 いえ、意識して観察しているわけじゃないです。日常的に見ているさまざまな情報がパッと統合されて、急に「こうだ!」と思いついたりする感じですね。

細谷 仮説を立てるときは、意識して「さあ考えよう」と思いますか。

佐渡島 意識して考えようってなって思いつくことはないです。なんでもないときに急に、「こうしたらいいんだ!」とひらめくというか。

細谷 そうすると、無意識の中にメタを埋め込まないといけないということになってきますかね。

佐渡島 僕はいろんなことを、朝起きた瞬間に思いついています。起きるのは六時半くらいなんですけど、だいたい五時半くらいからもう、寝ているんですけど頭の中でずっと自分で議論していて、六時半になって目覚ましが鳴ったら、「そうだオレはこうしよう!」と一人会議の結論を出して、本当に起きるんです。

細谷 そうすると観察力を上げようという話は、日常の中で何かを見たときに、朝の一人会議でやっているように一瞬立ち止まって考えるというイメージですか?

佐渡島 そうですね。とにかく「立ち止まる」という練習でしょうね。立ち止まることで、いろんなものをいかに見ていないかに気づくので。人は自分が目の前のものが見えていると思いこんでいて、いろいろなことを立ち止まって考えずに済ませているんだと思うんですよ。
 たとえば会社でいつも飲んでいるペットボトルの水。同じものを毎日一本か二本飲んでいますけど、味の違いに気づくことはありません。でも僕の観察力がもっと鋭くなったら、自分の体調によってその水の味がどう変わるのかに気づけるようになるんじゃないか。
 最近、それと同じことをコーヒーで実践していて。同じ豆で同じようにコーヒーを淹れているつもりだけど、甘味や雑味、苦味の出方は毎回違ってきます。その微妙な違いにどうやったら気づけるか、定点観測をしているんです。

細谷 こういう方法でやったらもっとよくなるな、と気づいた事例はありますか。視点のレベルだったり、あるいは仮説の精度といったものを、どういうふうに持っていくと観察力が向上するとか。

佐渡島 仕事柄、人が感動するとはどういうことだろう、とずっと考えています。本当に人が感動する物語を作りたいと思っているので。興奮するではなく、感じて、動く。世界のあり方が変わってしまうような感動。そうするとやっぱり、パーソナライズに行き着くんだなと思っています。
 亡くなった娘とVRで母親が再会するドキュメンタリーがYouTubeで公開されていて、僕は何度も観てしまって。これに勝る感動はないんじゃないかと思ってしまうんですが、そういう感動する物語に対して視聴者や読者は、自分や自分の子どもをキャラクターに重ねて入り込んでいきますよね。でもそれよりも、現実に自分の子どもと一緒にその役を演じたり状況を経験したら、はるかに感情を揺さぶられるでしょう。
 同じようにサラリーマンマンガを読んで、自分もこんなふうに働きたいなあと思う読者がいるでしょう。でもどうせなら、自分がストーリーの中に入ったほうがもっとおもしろいですよね。
 たとえば、部下と上司がとんでもない勘違いを乗り越えてなぜか壮大なプロジェクトを達成するという、十五分程度のストーリーがあって、そのストーリーの中に、上司と部下の役でリアル上司と自分がVRで入るんですよ。他のキャラクターは俳優が演じていて。
 ストーリーの中で、仲が悪かった二人が難題に立ち向かいながら打ち解けていく様子を一回経験して、そのあとでリアルで飲みに行って、「さて俺たちはどんなプロジェクトを成功させるんだっけ」と確認しあってからリアルの仕事に戻ったら、どうですか。仕事への取り組み方も上司との関係も、きっと変わりますよね。
 本当に人を感動させるには、物語のあらすじを考えるのではなく、そんなふうに実際に入っていく物語の新しい「型」を作ることになるんだろうと思っています。これが実現できたら、入っていく物語は必ずしも壮大である必要はないです。
 休みの日に子どもと過ごしていると、「ああ、子どもが生まれてよかったと思うのはこういう瞬間だなあ」としみじみ感じる瞬間があります。うちの三人の息子たちにはゲーム機を持たせていないので、自分たちでいろいろ遊びを考えてくるんですけど、そのときはコントローラーみたいなものを作っていたんですよ。どこかから手に入れてきた木にガムテープを貼って成形して、右ボタンと左ボタンをつけて。
 四歳の三男が「右ボタンを押すと怒り出します、左ボタンを押すと笑い出します」と言い出して、続けて「右ボタン押してるよ」と言われて僕は怒ったふりをして、「左ボタン押してるよ」と言われたら今度は僕が笑って。三男が同じことを長男にやり始めると長男も付き合ってあげて、次男も付き合ってあげて、家じゅうで怒ったふり笑ったふりが起きていたんですね。その瞬間に僕は、すごくいい時間だなあとしみじみ思ったんです。
 こういうふうな幸せな空気感は偶然に生まれていて、意図的に作り出そうとしてもできないけれど、もしその瞬間がVRの中で再現されてそこに入れるなら、そのときの感覚を再び味わうことができるんじゃないか。ほんの短い時間だけではなくて、二時間版とか一日版だってありえるなと思いますね。
 今の僕だったら、九歳の子の親をやるのも初めてだし、三人の子の親をやるのも初めてだし、初めての経験がたくさんあってそれはおもしろくもありすごく苦労もするんだけど、人生で初めての経験って、やっぱり特別で貴重な時間じゃないですか。でも一度しか体験することができません。だから「人生で初めて」という瞬間を頭の中で何度も繰り返し経験することによって、複数回生きたいと思うんです。

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