“他者という鏡”に映る自分を認識する難しさ
どうやったら、いいアドバイスができるようになるか?
編集者として働き始めた時から、ずっと考えてきた問いだ。
編集者という仕事は、自分で作品をつくることはできない。ただただ、自分が感じたことを作家に伝えていく。だからこそ、状況に合わせて、より的確なアドバイスができるよう、自分なりに試行錯誤を重ねてきた。
でも、最近は「相手のために、いいアドバイスをしよう」という気持ちを手放したほうがいいと思っている。
『相手に対して"こだわりが足りない"と思ったら』というnoteに詳しく描いたが、自分が繊細に扱うことのできるポイントは、自分にとって解像度が高く見えるポイントであり、それは自分の「上位資質」だ。
上位資質とは、ストレングスファインダーで使われている言葉で、使おうと意識しなくても、無意識のうちに勝手に発動している資質のこと。人が自分の強みに気がつくのが難しいのは、それを無意識に使っているからだ。
そして、ストレングスファインダーをやっていくと、人間には様々な種類の上位資質が存在していることがわかる。全てにおいて繊細で、こだわりが強い人など存在しなく、人によって見ている視点が異なる。
だから、相手に対して「なんだか雑だな」とか「こだわりが足りないな」と思ったとしても、本当にそういうわけではない。「他人を見る時に、こういうポイントに着目してしまう」という、自分の嗜好性が明らかになっているだけだ。
他人について語っているようで、実は自分について語っている。
これと同様なことが、アドバイスにも起きていると感じる。
他人に対して「もっと、こうしたほうがいい」と感じることは、実は自分自身が課題として強く感じていることだったり、興味関心が向いていることではないだろうか。自分が関心を強くもっているから、その領域が解像度高く見えてしまう。そうした主観的なレンズを通して他人を見ているだけだ。
相手の課題を起点にアドバイスを考えているようで、実は自分の中にある課題が起点になっている可能性が高い。
だから、「もっと、こうしたほうがいい」と言われたのならば、自分の欠点や課題を指摘されたと受け止めるより、「〇〇さんは、今、こういうことへの関心や問題意識が高いのだな」と解釈したほうがいいかもしれない。
結局、他人は自分を映す鏡でしかないのだ。そして、他人という鏡に映った自分の姿を、自分の姿であると認識するのは難しい。
先週のnoteで、自分は知らなくて、他人は知っている「盲点の窓(blind self)」を認識する難しさを書いたが、アドバイスという行為には盲点がつきまとっていると感じる。
そう考えた結果、「相手のことを考えて、いいアドバイスをしよう」と思うことを手放すことにした。
では、ぼくからアドバイスがほしいという人には、どう接するのか?
その場合、相手の置かれている状況について丁寧に聞き、自分の過去において近しい状態だった時の経験談について伝えたいと思う。そこから何を教訓として抜き取るかは相手に委ねる。
「どうやったら、相手が考えるための”いい材料”を渡せるか?」
この問いを常に持ちながら他者と接する。これをテーマとして、新人マンガ家や社員とのコミュニケーションをとっていきたい。
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コルク佐渡島の『好きのおすそわけ』
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…
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