密室での会話は、パワハラの温床となる
「人を育てるとは、期待しないこと」
以前、このタイトルのnoteを書いた。ぼくは、誰かを自分の望む方向に導きたくて組織を作っているのでない。一緒にやっているクリエーターも、コルクのメンバーにも、「自分にとっての幸せや成功は何か」を自分で考え、自分でそれを手に入れられるようになってほしい。
ぼくが望んでいる方向は「自立」だ。そして、相手に期待することは、その思考に逆行する行為だと考え出してる。
自分の都合のいいように、相手をコントロールしようとしない。
こうしたことを考える中で、ぼくの息子たちが通っている「きのくに子どもの村学園」の取り組みで、ハッと気づかされることがあった。
この学校では、自己決定・個性化・体験学習を重視していて、子どもたちが様々なことを自分たちで決めて、体験を通じて学んでいく。ぼくのnoteで何度か紹介したことがあるけど、この学校の教育方針は本当にユニークだ。
今回、ぼくが面白いと感じたのが、子ども同士が喧嘩した際の対応だ。
去年の秋から次男がこの学校に通い出したのだが、今年の春から三男も通い出した。この学校の体験学習では、学年の壁はなく、次男と三男は一緒に農作業を体験する授業を受けている。そして、いつも家でも兄弟喧嘩をしている仲なので、その体験授業の間にも当然のように喧嘩が勃発した。
では、喧嘩が起こるとどうなるか。
喧嘩している当人同士だけでなく、生徒全員が集まり、その喧嘩が起こってしまった原因や、どうすれば喧嘩を防げたのかなどを話し合う。誰かが喧嘩をすると、一旦作業を休止してそうした話し合いの場を全員で持つことが、この学校の取り決めになっているらしい。
息子達は、兄弟喧嘩だから、こっそり自分たちだけで解決しようとする。でも、喧嘩してる様子を大人が見かけると、しっかり話し合いになる。
兄弟喧嘩だと、いつもお互いに自己正当化してしまって、学びがない。客観的に見ることのできる第三者たちが話し合いに加わり、様々な視点から意見をぶつけていく。喧嘩を媒介にして、自分たちの視野を広げていくような話し合い方が学べる。なんと素晴らしい教育方針。
学校であれ、会社であれ、こうした揉め事は、先生や上司が仲裁に入り、当事者間で内々に決着をつけることが多いと思う。先生や上司が暫定的な正解を出す。それは先生や上司の考える正しさを当事者たちに押し付ける行為で、本当の解決ではないのではないか。
話し合って、周囲の客観的な視点も借りて、納得解に辿り着こうとするのが、ぼくはすごいことだと思った。納得解への辿りつき方を学べる場所なんて、ほかに思いつかない。
コルクは基本、リモートワークなので、スラックでコミュニケーションがとられる。DMが原則禁止というルールがあるのだけど、個人間のやりとりは、一度感情的になると、お互い客観視が難しい。そして、一見普通のことを言っていても、上司の発言はコンテクストでパワハラになってしまう。
密室での発言は、パワハラの温床になる。
密室になると上司が暴走しやすいからではない。客観性が失われて、お互いに自己正当化が起きやすいからだ。揉め事が起きた時に、兄弟喧嘩みたいになりやすい。そして、兄弟喧嘩で怒られるのは、たいてい兄だ。力が強いのだから、もっとあなたが我慢しなさい、と。それと同じことが組織でも起きる。
だから、コルクでも、誰かに何かを相談をする際にDMは禁止で、多くのメンバーが見ることのできるslackのチャンネルで、オープンにコミュニケーションするのが基本のルールだ。
それは情報共有という観点もあるけど、誰かの正しさをお互いに一方的に押し付けないようにするためだ。
一人ひとりのメンバーが自立しあって、お互いをサポートしながら、共に成長していく。こうした生態系を作るには、密室での会話は極力減らしていったほうがいい。
人によっては、多くのメンバーが目にするオープンな場で、コミュニケーションすることに抵抗や恥じらいを感じる人もいるだろう。だけど、チームとして、コミュニティとして、一緒に価値をつくっていきたいと思うのであれば、オープンにすることを受け入れていったほうがいいのではないか。
ぼくは組織づくりの経験がないまま、経営者になったので、いつも思考錯誤だ。
だから、いい組織を作るための仮説として、DM禁止としているが、息子の学校のあり方と息子の変化を見て、このルールをもっと徹底しようと思った。
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コルク佐渡島の『好きのおすそわけ』
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…
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