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胸が締めつけられる、作家同士の友情 (『三島由紀夫論』について)

人と人とは、わかりあうことなんてできない。
それでも、わかりあいたいともがく。

ぼくが心を動かされる作品には、多かれ少なかれ、この主題が共通して描かれている。そうした話を以前に『気づいた時には、もういない。その繰り返し』というnoteで書いた。

わかりあおうとする姿にも、様々な形が存在する。
評論を執筆することも、わかろうともがく、ひとつの形だ。

小説家の平野啓一郎による『三島由紀夫論』に、ぼくは深く感動した。納得や感嘆ではなく、感動だ。

今年、刊行された『三島由紀夫論』は大傑作だ。『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』の4作品の精読を通じて、三島由紀夫の思想を紐解くもので、構想に20年を費やた大作だ。本作に、ぼくは編集者としては関わっておらず、いち読者として純粋に読ませてもらった。

平野さんは、三島由紀夫という作家に複雑な想いをもっている。

平野さんが文学に目覚めたのは三島由紀夫のおかげだし、三島由紀夫のエッセイや日記で紹介される様々な作家を追うことで、平野さんの文学の世界は豊かに広がっていった。

一方で、政治的な立場という意味では、凡そ対極的なところにいる。三島由紀夫の最後は憲法改正を訴えて市ヶ谷で割腹自殺するわけだが、その主張の内容は到底受け入れ難いところがあると平野さんは言う。

三島由紀夫という作家が、なぜあの最後に至ったのか。それを整理して考えたい気持ちが平野さんの中に常にあり、三島が亡くなった年齢に自分が達した時に、本格的に取り組もうと以前から決めていたそうだ。

この『三島由紀夫論』は600ページを超える大作で、論じられている作品の内容はもちろん、当時の時代背景や文壇の潮流などのコンテキストを理解しながら読み進めないといけないので、簡単に読むことはできない。ぼく自身、かなり慎重に、じっくりと時間をかけて読み進めていった。

だが、ある時、ふと気がついた。いつしか、『三島由紀夫論』のページをめくる度に、感動的な気持ちに包み込まれている自分がいたのだ。読んでいて、涙が溢れそうになる。

小説を読んで感動するのは、ありえる。だが、評論を読んで感動したことは、これまでの人生で一度もない。ぼくは何に感動しているのか?

その答えは「三島由紀夫の本心を理解したい」と願う、平野さんの切実な姿だ。

三島由紀夫をわかろうともがき、どこまでも寄り添おうとする平野さんの愛情の深さが、評論の一文一文から滲み出てくる。評論を読んでいたはずが、愛情、友情の深さに感動が止まらなくなる。

ぼくの読み方は、正当な読み方ではないだろう。でも、精緻な評論から、冷静な文章の奥にあるとてつもない情熱が自然と滲んでくる。

平野さんは、この『三島由紀夫論』のあとがきで、「三島を徹底して〈他者〉として理解しようと努めた」と書いている。そのため、三島由紀夫自身が書いた文章はもちろん、三島由紀夫へのインタビューや対談記事、三島と懇意にしていた人たちが書いた文章からの引用も、すごく多い。

そうやって集めた様々な情報を、時系列順に細かく並べて整理をする。その上で、「この時の三島は、こういったことを考えていたのではないか」と論を展開していく。三島由紀夫という人間の内面を、ものすごく慎重に紐解いていっているのだ。

この三島由紀夫に対する平野さんの接し方を見て、ぼくは平野さんの代表作で、ぼくが愛してやまない長編小説『葬送』を思い出していた。

『葬送』はフランス2月革命前後におけるショパンとドラクロアを描いた作品だ。もともと平野さんがショパンの音楽を愛していて、「これほど美しい音楽を創造する人間はどんな人物で、どんなことを想いながら生きていたのだろうか」と考えたことがきっかけにある。

この作品の執筆には、約3年半を費やしている。その間、平野さんはショパンやドラクロアに関する膨大な資料を集めて、「何月何日にショパンはこうした、ドラクロワはどうした」と書き込まれたカレンダーを作成するなど、二人の足跡を事細かく整理していった。

ちなみに、当時はインターネットが発達していなかったので、フランスまで足を運んで、書店や図書館を巡り、自分の手で資料を集めたそうだ。

三島由紀夫にしても、ショパンにしても、本人は既に亡くなっている。どんなに資料を揃えて、考察を膨らませても、想像の域を出ることはない。それでも、平野さんの文章を読んでいると、「本当にそうだった」としか思えなくなる。

『三島由紀夫論』を読んでいると、三島由紀夫と平野さんが魂の深いところで結び合っているような感覚を覚える。文学を通じてのみの関係なのに、まるで無二の親友のように感じられる。

あとがきの最後、平野さんはこんな文章で締めくくっている。

 しかし、敢えて無体なことを言うなら、私は、もし本書を三島が読んだなら、自殺を踏み止まったかもしれないという一念で、これを書いたのである。
 私はやはり、三島という人に会って、話をしてみたかった。この想いは、今も強くもっている。

『三島由紀夫論』

この文章を読んだ時、ものすごく胸が締め付けられた。この『三島由紀夫論』は、三島由紀夫に宛てた平野さんからの手紙とも言えるかもしれない。

こんなにも他者を深く想い、他者に寄り添えること自体が、平野さんの人間、小説家としての魅力を表している。

この三島由紀夫論を書き切ったことで、このあと、平野さんが書く小説が新しいものへとなっていくのだろう。ぼくの中でワクワクしかない。


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表では書きづらい個人的な話を含め、日々の日記、僕が取り組んでいるマンガや小説の編集の裏側、気になる人との対談のレポート記事などを公開していきます。

『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…

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