行き過ぎた自責思考から脱却するには?
「他責思考」ではなく、「自責思考」で物事と向き合う人が成長しやすいと、一般的には言われている。
ぼく自身、この考え方に概ね賛成だ。
問題を他人や環境のせいにしてしまう他責思考では自己成長は難しい。『無意識に生じる「被害者意識」を、どう捨てるか』というnoteに詳しく書いたが、他責思考は自分の視界を曇らせてしまい、成長できる貴重な機会を取り逃がしてしまう。
一方で、自分に問題があると考える自責思考も、行き過ぎれば自己否定やストレス過剰で動けなくなる。どんなことにもバランスが必要だが、自己責任にも、適度なバランスが求められる。
どうやったら、健全な自責思考を身につけることができるのか?どうやったら、中庸な自責思考に辿りつけるのか。
何か問題が起こった時、自責思考の人は、まずはその原因が自分の能力の至らなさだと考える。もっと自分に能力があったら、なんとかできたのではないか。もっと、もっとと。
実際に経験が少なくて、スキルを身につけるフェーズの20代は、そのような思考法が役に立つだろう。
しかし、30代になり、経験も一定貯まった後は、なんでも自分の能力のせいだと思うのは、逆に自分の能力を過信しているとも言える。なんでも得意な人なんていない。自分の強みでないことまで、自分の能力をあげて解決しようとすると、精神的に追い詰められる。
仕事にせよ何にせよ、多くの活動はチームやグループで行われる。問題は、個人の能力よりも、関係性やコミュニケーションに起因する場合の方が多い。
スポーツでも、スター選手が揃っているチームが勝てるとは限らない。能力は、メンバーとの関係で発揮される。スポーツの世界で考えるとわかりやすいかもしれない。お互いの認識をすり合わせて、チーム内におけるそれぞれの役割を理解し、意思疎通の精度を高めていかなければならない。
自分の能力のせいにしない。だからといって、環境や他人のせいにして、それが変わらないと何もできてないと待つだけでもない。自分にできることをやる。健全な自責思考とは何か。
それは、関係性を変えるために自分から、居場所を変え、働きかけることだ。能力ではなく、自分から関係を変えにいく。そこに自主性を持つのが、長続きする自責思考ではないか。
安斎勇樹さんの『問いのデザイン』を読むと、多くの組織が抱える問題のほとんどが、関係性や認識の固定化によって引き起こされていることが良くわかる。
もちろん、その固定化に揺さぶりをかけるのも簡単なことではない。しかし、自分の能力に目を向けるよりも、そこに目を向けたほうがよっぽど健全だし本質的だろう。
以前に投稿した『自己否定の成長から、自己肯定による成熟へ』というnoteにも書いたが、自己否定からの努力は、結局のところロボットやAIに代替できる無味乾燥な人間を作り上げるだけで、そこに人間的な深みや成熟は生まれない。
自己否定から脱却し、どうやって健全な自責思考を持つか。スキルの伸ばし方よりも、関係性の変え方に最近は興味がある。
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コルク佐渡島の『好きのおすそわけ』
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…
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