他者と関係を深めるための、「期待」のあり方とは何か
「人を育てるとは、期待しないこと」
一昨年、このタイトルのnoteを書いた。「これくらいの成果を出してほしい」「ここをもっと伸ばしてほしい」と思っている段階で、自分勝手に都合よく相手をコントロールしようとしている。それは、期待ではなく、巧妙な管理はないか。それを「期待」という言葉に包んでしまっていないか。
どうやって期待を手放し、相手を信頼し、見守るに徹するか。ぼくのnoteでは、この問いについて繰り返し書いてきた。
だが、「期待を手放す」という響きは、他人の成長に興味を失っているようにも、他人と関係を持とうという気持ちが薄いようにも感じられて、しっくりこないところもあった。自分勝手に期待しないことが重要なのは明白だが、全く期待しないのも、極端すぎる考えかもしれない。
そんな風に「期待」について考えを巡らせるなかで、先日、視界が晴れるような発見があった。
発端は、ぼくがコーチングをお願いしていた『教えないスキル ~ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術~』の著者であり、サッカー指導者の佐伯夕利子さんのブログだ。
このブログの最後に、こんな文章が綴られている。
この「期待とは、期限を保って待つこと」という言葉の響きに惹かれ、Jリーグチェアマンである村井さんが「期待」について言及している記事を調べてみたら、この記事が見つかった。
この記事のなかで、村井さんは「期待」についてこう語っている。
今だけを見て、判断してはいけない。誰かの成長を信じて、期間を保って待つ。それが期待であり、時間軸で考えるべきだと、村井さんは言う。
そして、村井さんの言う時間軸とは、1年や2年などの短いスパンではないだろう。記事を読むと、村井さんはJリーグに入ってきた選手たちに「5年後の手紙」を書いてもらい、選手たちの人生に長く寄り添っていこうとしている。おそらく、10年や20年といった時間軸で、選手たちの人間的な成長を信じているのではないだろうか。
マンガ家も、プロとして成功するには、3年や5年は平気でかかる。人によって、10年以上の時間がかかる人もいる。しかも、全員が全員、ヒット作を出して、成功できるわけではない。村井さんの記事で、サッカー選手になった人のなかには、1試合も出場できないまま辞めていく人も結構いると書かれているが、マンガ家もサッカー選手と同じで厳しい世界だ。
だが、成功と成長は別だ。
思うようにヒット作品を出すことができなかったとしても、創作に真摯に向き合い続けていれば、以前の自分より現在の自分のほうが成長していると確実に実感できる。努力すれば必ず成功するとは言えないが、努力すれば必ず成長するとは断言できる。
肉体的な限界があるスポーツ選手と違い、マンガ家はやろうと思えば、死ぬまでマンガを描くことのできる職業だ。成長を続けていけば、どこで成功を手にするかはわからない。宮沢賢治やゴッホのように、生前は成功できなかったが、亡くなった後に名声を手にする芸術家も多く存在する。
ぼくが編集者として最もやりがいを感じるのは、担当している作家がヒット作を出した瞬間ではなくて、その作家が創作を通じて人間的成長を遂げていることを感じられた瞬間だ。
人間的成長が具体的に何を意味するかは、相手によって変わってくるだろう。それはぼくが決めることではないし、作家自身が創作に向き合うなかで、自分の向かいたい方向性を決めてもらえばいい。その成長を編集者として伴走しながら、直近で見ることできたならば、これほど楽しい人生はないだろう。
人間的成長を期待し、10年や20年といった時間軸で、相手を信じて待つ。佐伯さんや村井さんの記事をきっかけに、自分のなかで「期待」とは何かがようやく腹落ちした。
前週のnoteで、「2023年は、他者との関係を深めること」を抱負とすると書いた。自分勝手な期待ではなく、相手との関係を深めるための期待のあり方とは何か。この問いについて、今年は考えていきたい。
ドラクエでも発揮した仮説を検証する習慣
ドラゴン桜の巻末に、インタビュー記事を掲載していたことで、ぼくは講談社時代に数えきれないほどのインタビューを経験させてもらった。
今、人の成長についてのビジネス本を読んで、その時に起きたことを紐解くと、誰からも口出しされない心理的安全性のある場所を自分で確保し、そこで繰り返し試行錯誤を自分だけで行うことで、僕は成長したという説明の仕方もできるだろう。
ぼくにとって、インタビュー、仮説を検証する場所だった。取材相手の本を読む。すると、たくさんの仮説が思いつく。その仮説を著者本人と一緒に考えれるというすごく贅沢な場所としてぼくはとらえていた。
ライターにお願いして、記事を作ることもできたけど、それをすると記事をつくる作業になってしまう。ぼく自身の成長に関係する時間にならない。もうどうやっても時間が作れないほど忙しくなるまで、ぼくは自分でインタビューをしつづけた。
正月休みに実家に帰ると、毎回母親が、孫のゲームする様子を見ながらする話がある。庸平は、ランドセルを背負ったまま、ドラクエをやっていた。子どもがゲームに夢中になるのは、血が争えない証拠だ、と。
当時、ドラクエにハマっていたぼくは、学校で授業を受けていても、次あそこの洞窟に行ったら、すごい武器が手に入るんじゃないか、などと昼間にも頭の中でドラクエの世界の中にいて、仮説を延々と立てていた。
親にはドラクエを大好きだと写っていた。そうかもしれない。けれども、大好きという感情とはちょっと違った。自分が予想したことを、仮説をすぐに確かめたいと思っていただけだった。
同じように、大人になったぼくは世の中の色々なことに対して確かめたいことがたくさんあった。例えば、レストランでランチをすると、どれくらいの利益が出ているのかが気になる。
この時間帯に何人のお客さんが入っていて、単価はこれくらい、席数はこれくらいで、何回転するか。昼と夜のメニューを比べたら、具材の共通点に気づき、食品ロスを防いでいることに気づく。
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コルク佐渡島の『好きのおすそわけ』
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…
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