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手放すことと、今を生きること

死を意識すると、生が輝く。この言葉はもっともらしい。

確かに、僕自身の人生も死を意識して、変わり始めた。

僕の著書『ぼくらの仮説が世界をつくる』の「おわりに」に書いたのだが、高校の同級生がガンで亡くなった。30歳だった。

彼は仕事をしたがっていて、生きたがっていた。それでも、死を受け入れているように見えたけど、まさに亡くなる日の晩、自分が死にいくことを悔しいと嘆いていた。

彼がどれだけ望んでも手に入れられない「仕事をする」機会を自分は持っている。ならば、我慢することで、その機会を自分で台無しにしてはいけない。自分の人生を徹底的に楽しもうと考えて、起業した。

しかし、この考え方を最近、ちょっと変え始めている。

『徒然草』の 第七十四段には、こんなことが書かれている。

【原文】徒然草 第七十四段
蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕(ゆうべ)に寝(い)ねて、朝(あした)に起(お)く。いとなむところ何事ぞや。生(しょう)をむさぼり、利を求めて、やむ時なし。

身を養ひて、何事をか待つ。期(ご)する所、ただ老と死とにあり。その来(きた)ること速(すみや)かにして、念々(ねんねん)の間にとどまらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。まどへる者は、これを恐れず。名利(みょうり)に溺れて、先途(せんど)の近きことをかへりみねばなり。愚かなる人は、またこれを悲しぶ。常住(じょうじゅう)ならんことを思ひて、変化(へんげ)の理(ことわり)を知らねばなり。
【現代語訳】
 人が蟻のように集まってきて、東に西に急ぎ、南に北に走ってゆく。身分の高い者がいれば、卑い者もいる。老者もいれば、若者もいる。これらの人はみな、用があって行く所があり、帰ってくる家がある。夜になれば寝、朝が来れば起きる。彼らのこのような生の営みは、いったい何のためなのか? 要するに、少しでも長く生きたい、もっと金を儲けたいの一心で、かくあくせくと生き働いているだけではないか。

 だが、そんなふうにわが身大事に生きて、将来に何を求め、期待するというのか? 待ちうけるものは、ただ、老いと死しかない。しかも老いと死の来ることは速やかであって、一刻もとどまることがない。休みなく、たしかな足取りで一歩一歩近づいてくるそれを待つあいだ、生きていてなんの楽しみがあろう、楽しみになどあるはずがない。ただこの世のことに夢中になっている者のみは、この老いと死を恐れない。彼らは名誉と利益に溺れて、老いと死の近いことを顧みもしないからだ。一方、愚かな者は、ひたすらただその来ることの速やかなのを思って悲しんでばかりいる。生きていたいとばかり願って、この世に常住なるものはなく、万物は変化流転するという大理法を知らないからだ。

(引用:『すらすら読める徒然草』

この段を読んで、「どうあがいても人間は死に、万物は流転する。それを意識すると、将来を期待せずに生きれる。だから、死を意識しよう」と、読む人もいるだろう。

僕はちょっと違う理解をした。

ただこの世のことに夢中になっている者のみは、この老いと死を恐れない。

死を意識しているうちは、今に夢中になれていない。

死を意識するのは、金がない、名誉がない、との焦りが死に代わっただけ。アクセクする方向性が変わるだけ。

死を意識するのも、未来を考える時間だ。未来、過去のために時間を使うと、今に夢中になれない。

計画した未来へたどり着こうとするよりも、夢中になった今の積み重ねで、予想のつかない未来へたどり着きたい。

最近の僕は、そんな風に考えて、死のことを意識しなくなった。以前は、「明日死ぬとして、これを自分はやりたいのか」と問いかけていた。最近は、「今、自分はどうしたいのかな?」と今の自分の気持ちを自問する。

最近、ヨガのレッスンを受けていると、インストラクターの先生から「頭の中にあるものを手放してください」と言われる。「手放して、手放して、心も体も楽にしていってください」と。

僕は、この「手放す」という言葉が、すごくしっくりときている。仏教の中だと「手放す」はすごく大切な概念だ。だから、仏教の知識が今よりも一般的だった時代に書かれた徒然草には、手放すことに関する文章が多いのかもしれない。

この「手放して、今を生きる」という思考をしていると、目標との向き合い方に悩むことになる。目標は、未来のことだからだ。

僕は、目標を立てては、それを手放し、こだわらなくなる。また、目標を立てる。そして、手放す。これをたくさん繰り返すのがいいのかなと思っているのだけど、どうなのだろう。

同じようなことを考えている人がいたら、どうしているか、教えて欲しい。

★僕のnoteでは、「徒然note」と題して、吉田兼好の『徒然草』を現代風に解釈してみる記事を定期的にやってます。今回は第3回目。徒然草に興味を持ってもらったなら、第1回第2回も読んでみてください!

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