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深刻にならず、真剣になる

※今週は、吉田兼好の『徒然草』を現代風に解釈する「徒然note」の第2回目( 1回目はコチラ

徒然草には、名人についての文章がいくつもある。

今回紹介は、「二本の矢を持つな」という弓の名人の話だ。

【原文】
 ある人、弓(ゆみ)射いることを習ふに、諸矢(もろや)をたばさみて的(まと)に向(むか)ふ。師のいはく、「初心(しよしん)の人、二つの矢を持つ事なかれ。後(のち)の矢を頼(たの)みて、始(はじ)めの矢に等閑(なほざり)の心あり。毎度、ただ、得失(とくしつ)なく、この一矢(ひとや)に定(さだ)むべしと思へ」
 といふ。
 わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師これを知しる。この戒(いまし)め、万事にわたるべし。
 道(みち)を学する人、夕(ゆふべ)には朝(あした)あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、重(かさ)ねてねんごろに修(しゆ)せんことを期(ご)す。いはんや、一刹那 (いっせつな)の中において、懈怠(けだい)の心ある事を知らんや。何ぞ、ただ今の一念において、直(ただち)にする事の甚(はなはだ)かたき。
【現代語訳】
 ある人が弓を射ることを習うのに、二本の矢を持って的に向かった。それを師匠が見て、「初心者は二本の矢を持ってはいけない。二本持つと後の矢をあてにして前の矢をおろそかにする心が生じる。そのつど、当たりはずれなどは一切念頭に置かず、ただこの一矢で決するのだと思え」と言った。
 たった二本の矢である。しかも師匠の前で射るのだ。誰が初めの一矢たりとておろそかに射ることがあろうか。が、矢を二本持つというそのことのうちに、すでに気のゆるみがあるのだ。それを自分では気がついていないが、師匠はちゃんと見抜いているのである。しかしこの戒めは、弓を射ることばかりではない、そのほかのすべてのことにも通じるのだ。
 仏道を学ぼうという者が、夕方には明日の朝があることだからと思い、朝になると夕方があることだからと言って、今はいい加減にやってすまし、その時が来たらその時こそ本気で修行しようと心に誓う。そうやって一日から一日へと、ことを先送りしてゆく。そんな心掛けの者が、一日などという長い時間ではない、この一瞬の時の中にすでに懈怠の心が潜んでいることを、みずから知るわけがあろうか。が、総じて人間という者はどうしてこう、思い立ったらただちにそれを行うことができないのだろう。我人ともに、まことに情けないかぎりだ。

(引用:『すらすら読める徒然草』)

「失敗しても大丈夫。まだ次の矢がある」という心は、往々にして詰めの甘さを生み出してしまう。今この瞬間こそが常に本番と心得て、目の前のことに集中して臨む大切さを、吉田兼好は説いている。

この話を聞くと、僕はミランクンデラの『存在の耐えられない軽さ』を思い出す。

この本は「最高の文学作品を3冊あげよ」と僕に問われたら、確実にその中に入る作品だ。(ミラン・クンデラは『不滅』もすごくいいので、どちらにするか迷ってしまうが)。

何度も読み直しているのに、この作品を語ることはひどく難しい。説明しようと言葉に置き換えてみると、どの内容も間違えているような気がしてしまう。だから、読んでみてくださいとしか言えない。文体、思想、どちらも最高の文学作品だと、僕は思う。

この『存在の耐えられない軽さ』の冒頭では「軽さと重さ」について語られる。

 われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。これがニーチェが永劫回帰という考えをもっとも重い荷物と呼んだ理由である。
 もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとして現われうるのである。
 だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?
 その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。
 それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。
 そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか? 重さか、あるいは、軽さか?

ここでは、ニーチェの「永劫回帰」という考えが登場する。

仏教の「輪廻転生」では、人は無数の転生を繰り返す。前世でのカルマに影響されて、動物に転生することもあれば、人間に転生することもある。

一方、「永劫回帰」では前世も来世もない。まったく同じ人生を永劫的に繰り返すループから人は抜け出せない。未来永劫に同じ選択・同じ瞬間が繰り返されるなら、一つひとつの決断は重くなる。だから、何かを決定するときは決して後悔しないようにせよ。結果がどうあれ、その選択を後悔しないように生きることが、生を肯定する生き方というのがニーチェの思想だと、僕は理解している。

ニーチェの「永劫回帰」は、「一本の矢と向き合え」という徒然草の思想の延長にある。

この考え、非常によくわかる。

だが、一つひとつの決断を重く考えすぎてしまうと、軽やかに動けなくなってしまう。「一球入魂」みたいな考え方はかっこよく映るが、まずは試しにやってみて、何十回もトライしていくなかで、基準値や精度が高まり、磨かれていくことのほうが多い。一本の矢にこだわると、決断が重くなり、深刻になる。

一本一本の矢と「真剣」に向き合うのはいいが、「深刻」に向き合ってはいけない。

『宇宙兄弟』で、こういう言葉がある。

”本気の失敗には価値がある”

ここで語られる本気とは「深刻」のことではない。失敗したとしても、真剣にやっていれば、必ず得るものがある。だから、どんどん真剣に挑戦していこうというメッセージを、この言葉に僕は感じる。

重いようで、軽い。軽いようで、重い。
僕は深刻にならずに真剣になる方法をずっと考えている。

***

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コメント (2)
おはようございます。

全編を通じ、"仏道をならふといふは自己をならふなり。自己をならふといふは自己を忘るるなり"-正法眼蔵に通ずるものを感じました。

永劫回帰における軽重、一矢との向き合い方、空(インド言語における0の意)、全てはこの世に二つとない自己を知り、それすらも忘れる為に輪郭を自然と同化させる為に要する曖昧さ。

そんな風に読み取りました^ ^
一本の矢に絞ることで目標が明確になりますね。
虎を打ち抜こうとして石に矢が突き刺さるが二度目は全く刺さらなかった仏説を思い出しました。
存在の耐えられない軽さは僕も高校の頃図書館で借りて読んでいました。
ニーチェの永劫回帰はその頃、意味が分からないでここは読み飛ばしました。
そのあと、20代になってからツァラトストラはこう言ったを読んで全て永遠の中の同じその瞬間の繰り返しに過ぎないという六道輪廻を西洋哲学の最先端が述べていることに納得と驚きがありました。
三島由紀夫の『豊饒の海』第二巻「奔馬」を今読んでいて彼は西洋哲学と仏教の交差点を描いていると思いました。
人生の矢を1本に絞りつつ、幅広く挑戦し続けて行こうと思います。
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