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ゆっくりと動き考えることの難しさ

40歳を迎える頃から、「ゆっくり」を意識するようになった。

20代・30代の頃は、いかに早く、効率的に動けるかを追求してきた。「タイム・イズ・マネー」が原理原則の資本主義の価値観のなかでは、素早く判断し行動することは良しとされ、ぼく自身、それを疑うことはなかった。

だが、「早い」とは本当にいいことなのかと感じ、意識的に「ゆっくり」する時間を設けるようにした。そのひとつが、数年前からはじめた瞑想だ。

目を閉じ、全身の力を抜いて、ゆっくりと瞑想をしていく。呼吸や鼓動を感じながら、内側と外側で起きていることを、ありのままに観察していく。

瞑想は、「ストレスを減らす」「集中力を高める」とか、何か特定の目的を目指すためにはじめるとうまくいかない。そういう目標を手放し、ただただ瞑想する。すると、違う景色が立ち上がってくる。ここら辺の話は、『自然は、人工物よりも、情報が多いから魅力的だ』というnoteにも書いた。

昨年、福岡に移住したのも、たくさんの刺激が矢継ぎ早に届けられる東京と2拠点にして、ゆっくり考えられる場所に身を置きたいと思ったからだ。

ここ数年間で、自分の習慣や環境を変えることで、前よりは「ゆっくり」とものごとを考えられるようになってきた。

だが、長年に渡って染み付いた「早い」は、まだまだ沢山ある。

例えば、ぼくは歩くスピードが早い。

以前、羽賀くんが、こんなマンガを描いた。

他にも、食べるスピードが早い。

先日、食べにいったお寿司屋さんの主人から、ぼくの食べるスピードが早くて、「次の握りを早くだせ」とプレッシャーをかけてられているように感じると冗談まじりに言われた。

ぼく自身は、「早く歩こう」「早く食べよう」と意識しているわけではなく、普通にしているだけだ。体がこのスピードに慣れていて、勝手にこのスピードで動いてしまう。でも、世の中の一般的な基準からすると、かなり早いスピードであることに、周りの反応をみて気づく。

それで、例えば、子どもたちと一緒に歩く時は、子どものスピードに合わせようと意識してみるのだけど、これがまた難しい。仕事の連絡がスマホに届いたりして、別のことに意識を持っていかれると、いつものスピードに戻ってしまう。食べることにしてもそうだ。

ぼくより早いスピードの人がいて、その人に合わせるのであれば、そんなに苦労はしない。だが、スピードアップはできても、スピードダウンは難しい。急ぐ必要はないとわかっていても、体がいつものリズムで動こうとしてしまう。

ぼくはまだはじめていないけど、ゆっくり動くとなると太極拳が気になる。

太極拳を習いはじめて、ある程度経つと、手足の位置や体の動かし方がわかってくる。すると、次の動きがわかっているから、つい早く動こうとしてしまうらしい。急ぐ必要がないのに無意識に急いでしまう。そして、「意識が今の自分の身体ではなく、次の動きに向いてしまっている」とたしなめられるそうだ。

ちなみに、禅僧である道元の『正法眼蔵』には、トイレの使い方、顔の洗い方、歯の磨き方など日常の行いについての心得や細かい作法が説かれている。禅の世界では、日常の何気ない行為のひとつひとつにも、座禅と同じような心持ちで接するべしと説かれている。型を使うことで、ゆっくりと時間を感じられるようになる。

歩くや食べるといった日々の行為においても、「ゆっくり」を意識して実践できるようになると、どういう風に見える世界は変わるのか。さらに、行動だけでなく、思考も「ゆっくり」してみたい。早く結論に辿り着くのではなく、あえて「ゆっくり」考える。

宇野さんの「遅いインターネット」は、まさにゆっくり思考したものを集積しようとしているのだなと、改めて共感を強くした。雑誌『モノノメ』は、さらにゆっくりするために、あえてインターネットの外に出ているのだろう。今、モノノメはまさにクラファンをして、第二号を作っているようだ。


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