"いい観察"と"悪い観察"の違いは何か?
来月の上旬。ぼくにとって3冊目となる著作が発売になる。
タイトルは『観察力の鍛え方』。
『"観察力"の鍛え方とは何か』というnoteにも書いたが、いま、3冊の本の執筆をライターと一緒に同時並行で行なっていて、その第一弾が「観察力」についての本だ。
以前から、ぼくは新人マンガ家をはじめとしたクリエーターは、観察力を鍛えることが大切だと言ってきた。この本では「観察力とは何か」「観察力を鍛えるには、どうすればいいのか?」といったことが書かれている。
今回のnoteでは、発売に先駆けて、本の1章に書いた「『観察』という言葉の意味」の内容を紹介する。
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観察力を鍛える時に、具体的に何から始めればいいのか。
思索を開始する時に僕がまず行うのは、辞書をひくだ。字義を調べる。観察という言葉の意味を紐解くところから始める。言葉に潜む言霊を知ろうとする感じだ。
「みる」という行為は、合計で22もの漢字が存在するという。
見・䀎・看・視・診・視・督・察・睹・監・覩・覧・瞥・瞰・覯・瞩・観・瞿・瞻・覿・覽・觀…
良く使うものでも、「見る」「観る」「観る」「視る」「診る」「看る」「覧る」と7つくらいある。そして、「察」という言葉と組み合わせると、「視察」「診察」という熟語もある。「視察力」や「診察力」は鍛えても、応用可能な能力にならなさそうだ。やはり「観察力」に注目するのは良さそうである。
言葉の中に潜む言霊のようなものから抽象概念を理解しようとするアプローチから、「観察」についての思索は始まった。
辞書でひくと、
「物事の状態や変化を客観的に注意深くみて、組織的に把握すること」
とある。
「客観的」、「注意深く」というのが、観察を特徴づけているように思う。そして、「把握する時に組織的に」というのも重要だろう。もしも、「客観的」を「主観的」に入れ替えたら、「観察」ではなく、どんな言葉になるのか?「感想」だろうか。もしも、「注意深く」を「全体的に」に入れ替えたら、「視察」になるだろうか。
であれば、観察力とは、「客観的になり、注意深く観る技術」と、そして観て得たことを、「組織的に把握する技術」の組み合わせと言えるかもしれない。分けることによって、理解が進む。
客観的になり、注意深くなる技術、組織的に把握する技術のそれぞれであれば、鍛え方が見つかりそうだ。今回、本書は、「客観的になり、注意深く観る技術」の方に重点を置いている。「組織的に把握する技術」はもっと分けて思考する必要を感じていて、この本を書きながら明らかにしたいと思ったが、まだそこに到達できていない。
もう一つ、僕が観察について考えるためにしていたことがある。マンガ家・羽賀翔一の観察だ。
観察を理解するために、羽賀翔一の成長を観察していた。一般的に、マンガ家と編集者は、多くて週に1、2回、月に数回コミュニケーションをとる関係だ。ネームと呼ばれる下書きや原稿を間に挟み、それを共通の話題として打ち合わせをする。
コルクを創業する時に、新人マンガ家の羽賀翔一と一緒にやっていくことを僕は決めていた。彼の成長をサポートする。生活できるように固定給にして、コルクに毎日、出勤してもらうことにした。だから、彼の変化を僕は毎日のように観察し、クリエイターに必要なことは何かという仮説をたくさん立てることができた。
このようなマンガを描いているところから、羽賀翔一と僕の挑戦は始まった。
彼の観察力を上げたくて、僕は一日1ページ、コルクの社員を観察してマンガを描くようにというお題だけを彼に渡した。それは「今日のコルク」という電子書籍にまとまっている。
紆余曲折があり、数年後、羽賀翔一は、『君たちはどう生きるか』というメガヒットを生み出す。今の彼の課題は、その観察力で把握したものを、どうやって世間が興奮し続けるペースでアウトプットにし続けるかということに変わった。僕は、羽賀翔一の観察力を伸ばしたのは、一日1ページマンガを描くというお題の力だと直感的に思っている。
観察力のついた作家に、次のいいお題を渡すと自走し始める。
「半径5メートル以内のことを毎日1ページマンガにする。」
そんな簡単なお題が、日本を代表する作品を生み出すのに必要な観察力を鍛えれるのだとしたら、それはなぜか。羽賀翔一の観察力の成長の理由を解明することが、観察力の鍛え方に再現性を持たせることになる。
僕はこの本の執筆も兼ねて、2年間近く、観察とは何かを考え続けていた。そして、今、観察とは何かという僕なり仮説がある。まずは先に、僕がたどり着いている暫定解を共有する。
いい観察は、「ある主体が、物事に対して仮説を持ちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のズレに気付き、仮説の更新を促す。」
一方、悪い観察は、「仮説と物事の状態に差がないと感じ、わかった状態になり、仮説の更新が止まる。」
観察は、問いと仮説の無限ループを生み出すもので、その無限ループ自体が楽しいものであるため、創作をはじめたとする様々な行動の源になりえる。
観測は、観測自体が目的になり得るが、観察は自分で見つけてしまったが故に解きたく問いとセットでモチベーションになりえるのだ。
先日、羽賀翔一をはじめとするコルクスタジオの所属の漫画家たちと合宿をして、その時の振り返りを羽賀翔一がマンガにした。偶然、この本で伝えたいことと一致していて、僕と羽賀翔一の思考が呼応していたので、マンガを掲載していく。
今週も読んでくれて、ありがとう!今後も、9月上旬の『観察力の鍛え方』の発売に向けて、ぼくのnoteでは書籍の内容を先出していきます。
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数学の世界への理解がありながらも、物語をかける人は滅多にいないので、
森さんの作品は特殊な文学だと思う。常に先が気になるように書かれていて、面白い。
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