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本気の失敗には価値がある ── 宇宙飛行士まであと一歩だった内山崇さんに聞く、届かなかった夢との向き合い方

必死になって手を伸ばしていた夢が、永遠に叶わないという事実を突きつけられた時、どうやって叶えられなかった自分を受け入れたらいいのか。

内山崇さんは、宇宙飛行士の夢にあと一歩まで近づいて、届かなかった経験を持つ人だ。2008年〜09年に行われた第5期 JAXA宇宙飛行士選抜試験で、たった10人しか残らなかったファイナリスト(最終選考試験参加者)まで残ったが、そこで夢は敗れてしまった。

その内山さんが、この12年間語ることができなかった選抜試験にかけた想いや、そこで出会った同志たちとの熱い絆、そして、挫折からの長きに渡る葛藤を赤裸々に描いた本が、昨年末に発売となった『宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶』だ。

『宇宙兄弟』でムッタは自分の夢を叶えるが、その裏には、夢を叶えることができなかった内山さんのような挑戦者が無数に存在する。この内山さんの本は、夢を追うことの楽しさと苦しさの両面がリアルに描かれていて、宇宙兄弟とは違った角度から、宇宙への夢をかけた本気の挑戦を知ることができる。

宇宙兄弟に「本気の失敗には価値がある」というセリフが登場する。この言葉を、内山さんはどう受け取ったのか。本気で育んできた夢と失った喪失感や、選ばれなかった自分とどう向き合い、深い葛藤からどうやって抜け出したのか。そんなことを内山さんに聞いた対談の様子を、コルクラボのメンバーが記事にしてくれたので共有します。

<記事の書き手 = 栗原京子、編集 = 井手桂司

内山崇(うちやま・たかし)さん
1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年(株)IHI入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト(10名)。宇宙船「こうのとり」フライトディレクタ。2009年初号機~2020年最終9号機までフライトディレクタとして、ISS輸送ミッションの9機連続成功に貢献。現在は、日本の有人宇宙開発をさらに前進させるべく新型宇宙船開発に携わる。趣味はバトミントン、ゴルフ、虫採り(クワガタ)、ラーメン。宇宙船よりコントロールの利かない2児を相手に、子育て奮闘中。

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10年、自分の気持ちと向き合えなかった

佐渡島:
内山さんの著書『宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶』は、とても読み応えのある本になりましたね。

内山さん:
ありがとうございます。本を作りたいと佐渡島さんに相談して、最初に見せた原稿を「ちょっと詳しいウィキペディアですね」と言われたのを思い出します(笑)。

佐渡島:
はじめは、事実の面白さだけが並べてあるという印象でした。ただ、それだと読者が持っている知識量で面白かどうかが決まってしまって、すごく不安定な面白さになっちゃうんですよ。

なので、事実ではなく、自分が感じた感情を主軸にして書いた方がいいんじゃないかと伝えてんですよね。

内山さん:
佐渡島さんに「気持ちが動いたことを、もっとウェットに書いた方がいい!」と言われた夜に書いた文章が、「はじめに」でした。

選抜試験は本当に楽しかったし、後悔はありませんでした。

でも、試験の後は心が晴れないまま、葛藤を抱えていたのも事実です。目の前まで迫っていた夢が一瞬にして失くなり、「あと少しで宇宙飛行士になれたかもしれない」という呪縛からなかなか逃れられずにいました。夢が消えた喪失感が心の底にずっと居座り続ける苦しみが、たしかに僕の中にあった感情です。それに初めて向き合えた瞬間でした。

「はじめに」を書いた後からは、自分に真正面から向き合い、心が動かされた瞬間がいつだったのかを思い出しながら書けるようになりました。

佐渡島:
自分の感情をしっかり観察できたのは、さすが科学者だなと思いました。どんどん人に伝えられる文章にブラッシュアップされていって、人はこんなに成長するのかと驚きました。

内山さん:
編集者はもちろん、たくさんの方に原稿にフィードバックをもらえたのも良かったです。未完成の原稿を使った読書会を開催したのですが、「自分の人生と重ねて読みました」という感想をいただいて、自分が書きたいものがより明確になりましたね。

佐渡島:
たくさんの人にフィードバックをもらう機会があっても、頭の中で言い訳がいっぱいになって、原稿を修正できない作家や作家志望の人が多いんですよ。素直に丁寧に、書き直しを重ねる姿勢に、内山さんの魅力というかすごさを感じました。

内山さん:
この選抜試験のことがテーマだったから書けたのだと自覚しています。また、僕が書くことに対してまっさらな状態だったから、素直に聞けたし書けたのだと思います。


叶わなかった夢への気持ちを初めて吐露できた

佐渡島:
選抜試験が終わって10年経ったときに、この本を書こうと思ったのはどうしてですか?

内山さん:
僕はずっと、叶わなかった夢のことに触れるのを避けていました。

でも、一緒に戦った新世代宇宙飛行士の3名が宇宙に行き、僕がリードフライトディレクタを務めた「こうのとり」7号機ミッションを終えたとき、引きずっていた想いに区切りをつけたいと思いました。

自分がどんな経験をして、夢とどう向き合ってきたのか。この10年を真正面から振り返りたくなったんです。

佐渡島:
試験に落ちた後、「宇宙飛行士を支える側に回ったんだね」と言われて、ちょっと怒りを覚えたときのことが本で書かれていますよね。

人間は怒りを感じると、「相手の物言いが悪い」とつい思いがちですが、内山さんは「自分の心のしこりのせいだ」と気づかれますよね。

内山さん:
試験が終わるとすぐ、日本で初めての無人ランデブー宇宙船『こうのとり』の打ち上げが控えていて、僕はフライトディレクタとして関わることが決まっていました。フライトディレクタとして学ぶこと、やるべきことに打ち込んで、余計なことを考える暇がないほど忙しかったのは、本当にラッキーだったなと思います。

そして半年後、『こうのとり』初号機ミッションは、世界が驚くほどの成功を果たし、日本は無人ランデブー宇宙船技術で、世界のトップクラスと肩を並べました。日本だけでなく、世界の宇宙開発の柱となるくらいの成果だったし、この経験と実績は僕を支える大きな柱となりました。

僕はフライトディレクタの仕事に、誇りを持っていました。だからこそ、僕がフライトディレクタの業務に取り組むことを「宇宙飛行士を支える側に回った」と表現されると、フライトディレクタの業務を軽んじられているような気がして、怒りを覚えてしまいました。まだ、自分の心の中には「宇宙飛行士ではない自分」という葛藤も抱えていたから、ちょっとしたことに反応してしまうんだなとも思いました。

試験に落ちてから、7、8年は選抜試験や受験者について書かれた記事などを読むこともできませんでした。ちゃんと読めるようになったのは、やはり、フライトディレクタとしての自信がしっかりついたときでしたね。

佐渡島:
7、8年も苦しむほど、強烈な体験だったんですね。試験から2年後の、2011年に『We are 宇宙兄弟 宇宙飛行士の底力』という本の取材をさせていただいたときは、内山さんがそのような感情を抱いているとは思いませんでした。

内山さん:
自分自身の問題なので、当時は、慣れるしかなかったですね。宇宙飛行士になった3人の実力は心から認めていたし、「俺の方が」という気持ちもありませんでした。

ただちょっと、心の中にわだかまりをずっと抱えていたような気持ちですね。

佐渡島:
そうしたわだかまりは、誰か、友達や家族に話せたのですか?

内山さん:
誰とも話せなかったですね。

他の同じ思いをしたファイナリストとも、なにかそこはアンタッチャブルで、踏み込んではいけない気持ちでした。僕自身も踏み込まれたくないと思っていましたし。

僕はずっと、一線を引いちゃっていたんです。だから、初めてそのわだかまりを出せたのは、「はじめに」を書いたときです。あの夜が、自分の正直な気持ちを吐露した、初めての瞬間でした。書くことで、気持ちも整理されましたね。

佐渡島:
書くというのは人を癒す力がありますね。

内山さん:
そうですね。そう感じています。

最初は、自分の気持ちを世に出すことに抵抗があったのですが、思ったよりすぐ慣れました。文章を読んで、「良かった」「心に刺さった」と言ってもらえるようになってきて、何か役に立つんだったら、僕の経験も捨てたもんじゃないなと思うと、どんどん書けました。
今は、書いてよかったと心から思います。

文章を書き始めた頃の自分には、フライトディレクタとしての確固たる自信がありました。ずっと黙っていた気持ちを吐露したところで、自分を軽んじられる恐れもないと思えたからか、全部出してしまおうと思えました。


夢に挑戦したから見つけた、繋げていきたい想い

佐渡島:
今年の秋に13年ぶりにJAXAで宇宙飛行士が募集されますが、この本を読んで、内山さんは次の選抜試験は受けないんだ、という印象を受けました。募集開始が近づいてきて、気持ちの変化はありますか?

内山さん:
今でも、受けない気持ちに変化はありません。

正直、「選抜試験がある」というアナウンスを聞いたときの気持ちが、12年前と全く違います。以前は、選抜試験の実施を知ったときは、ぞわぞわっとするようなワクワクと、一瞬にして受験生になった緊張感が、ぱぁっと走りました。でも今回は、それがありません。

選抜試験は人生で何度も挑戦できるものではありません。募集期間中に「目の前のチャンスに本当に応募しないのか?」という攻防があるかもしれませんが、客観的に考えたら難しいと思います。次の若い世代を迎え入れたいなという気持ちでいます。

佐渡島:
なるほど。宇宙をめぐる環境も変わってきていて、ここ数年で民間のロケットの開発も進んでいます。宇宙に行くことは、簡単になりそうですよね。

内山さん:
僕は、「宇宙に行きたい」と「宇宙飛行士になりたい」という気持ちは全く違うと思っています。

宇宙にちょっと行ってみたい気持ちは、旅行と同じで誰しもが持つものかもしれません。
しかし、宇宙飛行士になりたいという気持ちは、もっと特別なのだと思います。

本の中で「覚悟」について書いているのですが、それは、「宇宙飛行士として一生生きる覚悟」を示していました。

自分が自由に生きられる一生を、ある程度の制約下におかれる宇宙飛行士として生き続ける覚悟があるのかということが、試験中に何度も問われました。一度宇宙に行って満足する気持ちとはまるっきり違う、宇宙を目指す覚悟が必要だと思っています。

これから、宇宙に行きたい人はいろいろな手段を使って行くことが可能になる未来がくると思います。それでも僕は「宇宙を仕事場」にしていたいですね。

佐渡島:
その覚悟は特別なものですね。これからの宇宙開発はどんなふうに広がっていくと予想していますか?

内山さん:
『宇宙兄弟』で描かれている世界が、現実になっていくんだろうなと想像します。

宇宙開発は有人と無人のちょうどいいバランスがあって、危険なところにまずは無人で行って、場を整える。その後、有人でしかできないところに人が行く。有人と無人で協力して、月面基地ができていくのではないでしょうか。

宇宙開発には実績のある確かな技術が採用されています。意外と最先端技術は採用されないんですね。しかしこの先、ある程度のリスクを取りながら最先端技術を使って宇宙に行く民間企業も出てくるかもしれません。志を持って常に挑戦する人たちがいると、可能性はすごく広がっていくでしょう。

そして、特定の人だけが宇宙に関わるという時代はもう終わりました。みんなで、これからの宇宙業界を盛り上げていけたらいいですね。

佐渡島:
内山さん自身は、どんな夢や覚悟を持って、どんな風に宇宙に関わっていきますか?

内山さん:
この本を書きながら、僕が宇宙飛行士を目指した理由が、人類の宇宙開発に貢献したかったからだと思い出しました。そして、宇宙エンジニアとしても、人類の宇宙開発には貢献可能だということに、はっきりと気づくことができました。

今は、宇宙に活動領域を広げることで地球環境の課題を解決し、人類の未来に貢献したいというのが僕の新しい夢ですね。

選抜試験中、多くの同志ができました。その後もたくさんの宇宙関連の仲間が増え、宇宙兄弟も10年前よりずっと盛り上がっています。有人宇宙開発応援してくれる人が日本でも増えてきている中で、僕がやれることは全てやりたいなと思っています。

そして、子どもたちに夢を与えること、自分が教えられることを教えてモチベートできたらと思っています。日本の有人宇宙開発を進めるバトンを次の世代に渡していくために、何ができるのかをこれから考えていきたいですね。

佐渡島:
楽しみですね。一緒に宇宙開発、宇宙飛行士選抜試験を盛り上げていきましょう!

(終わり)

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『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…

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