スマホは子育ての神様?
子育てをする上で、神様のように助けてくれる存在は、近くに住む親だ。僕の両親は神戸なので、横浜在住の義理の母に助けてもらうことが多くなる。
保育園やシッターの場合、かなり事前に予約をしないといけない。さらに、1人のシッターさんで面倒見られるのは2人までと決まっているところが多く、我が家みたいに子供が3人いる場合は、2人もシッターさんを頼まないといけない。
2人のシッターさんを頼むというのは、金銭的な面よりも、心理的な抵抗が大きい。そこまでのことなのか? と考えてしまって、やりたいことを我慢することになる。
そもそも子育てで本当に人の手を借りたくなる時は、唐突だ。子供の体調が悪くなるだけじゃなくて、妻の体調も同時に悪くなるなんて、事前に予想もできないし、準備もできない。
そんな時、うまくいけば、子供を会社に連れて行って抱っこ紐を使って抱っこしながら子供同席でミーティングをしたり、会社のメンバーにみてもらったりする。
その余裕もない時は、入っているミーティングを急遽キャンセルして、僕が小学校や幼稚園にお迎えにいき、家で子供の世話をする。滅多にあることではないけど、そういう時は正直お手上げ状態になる。
僕1人で、子供3人をレストランに連れて行く。サクッと食べて帰るつもりが、なぜかどうでもいい1品がなかなか出てこない。食事をほとんど食べ終わってしまった。そんな時に子供が騒ぎ出したら、僕に打つ手はほとんどない。
誰も子育てを助けてくれる人がそばにいない時、心強く、絶望の淵から僕を脱出させてくれる方がいる。そのお方のお名前は、YouTube‼︎
僕自身は、日常生活の中で、YouTubeを使うことはこれまで全くなかった。子育てをするようになって、初めて使うようになり、その便利さを実感した。
若者は、聞きたい音楽をYouTubeで探すというのをはじめは理解できなかったけど、今は理解できる。というか、僕自身がそうするようになっている。
子供たちは、もうYouTubeで何でも調べている。
一平が、学校のかけっこでクラスで最下位だった時、「かけっこの仕方」で検索すると、たくさんの人が説明をしてくれている。そしてそれを見て一晩練習をした一平は、次の日早速、一気に順位をあげて誇らしげだった。
フラフープが全くできず、学校でからかわれて、行きたくないと言い出した一平を救ったのも、YouTubeだ。
フラフープのやり方まで、懇切丁寧にたくさんの人が教えてくれている。今では、やめようと思わない限り、永遠に回すことができるくらいフラフープがうまくなった。
お小遣いでもっとペットを買いたいと考えた一平が、お金を稼ぐために、YouTuberになりたいと言いだすのもむべなるかな、だ。
YouTubeが僕の神様となり、そこの圧倒的な覇者、ヒカキンのすごさも理解するようになった。
YouTubeを一切触らなかったり、大人としていじっていたら、ヒカキンのすごさに気づけない。「フラフープ、やり方」とかで、検索するようになると、ヒカキンのすごさをじわじわと理解するようになる。
フラフープの動画を、1つか2つみる。そうすると関連動画に、ヒカキンが出てくる。ヒカキンがフラフープに挑戦する動画があるのだ。
多くの人がまじめにフラフープの説明をしていた後に、ヒカキンがお尻でフラフープを回そうと挑戦する7分ほどの動画は、面白い。フラフープの練習をしながら、なんとなく流しておくのに、ちょうどいい。
ヒカキンは、小学生、中学生の日常をしっかりマーケティングしていて、それに合わせて動画を作っている。そこまで目線を下ろして、動画を大量に作ってくれている人などなかなかいないから、人気ものになるのは、偶然ではなく必然だ。
コンテンツはすべてコンテクストの中で理解される。
立派なフレンチのお店かなと思って食事をしにいって、ラーメンが1杯だけだったら肩透かしを食らう。それと同じだ。
どのような文脈で、どのように出会うと、快適なのか?
YouTubeをだらだらとずっと触っている時に、ヒカキンほど、気持ちのいい出会いはない。その文脈でヒカキンの動画を見ると面白い。コンテンツを、コンテクストから切り離して議論することの意味のなさを実感した。
ネットの中には新しいコンテクストがたくさん存在する。そのコンテクスト自体をユーザー自身も理解していないことが多い。ヒカキンには編集者として学ぶことが山ほどある。子育てをしなければ、そのことに絶対に気づけなかった。
もう一つ、物語の体験の仕方が大きく変わってきている。僕が子供の時、『宇宙刑事ギャバン』にはまっても、週に1回しかみることができず、その物語が自分の血肉になっている感じはなかった。
しかし、息子たちは、YouTube、Netflix、AmzonPrimeで過去のウルトラマンも含めて、連続で何度も繰り返しみられる。
二平のウルトラマンへの詳しさには、舌を巻く。このような物語体験をしている世代が、自らの物語を作り出すようになると、どんなものになるのか?
未知なるものは、ハードだけでなく、ソフトでもどんどん出てくる時代になってきている。
(エッセイ・2017年9月1日執筆/ トップ画像イラスト:秋野ひろ)
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上の文章は、以前に「ベビモフ」というWebメディアで、僕が連載していた子育てに関するコラムを転載したものだ。当時は、子育てをしていて感じる自分の思いや感情を忘れないために書いていた。
連載自体は終了したのだけど、コルクラボのメンバーから、僕が子育てについてどのように考えているかを知りたいとリクエストをよく貰う。そこで、無料部分では過去の分を転載して、最近の子育てについては有料部分でインタビュー形式で書き起こすことにした。
今回のテーマは、「『ハマらせる』という行為は素敵ではない? 僕が子どもに『タブレット禁止令』を出した理由」です。
★月額800円の noteマガジン「コルク佐渡島の好きのおすそ分け」の読者は、そのまま、お読みいただけます。
なぜ「タブレット禁止令」を出したのか?
――Youtubeの力に感銘を受けていた佐渡島さんですが、半年ほど前にお子さんに「タブレット使用禁止令」を出されたそうですね。どのような変化があったのでしょうか?
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