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起業とは、「あなたが好きなあなたになる」ための方法のひとつだ。 【DJ編集者としての連載 #02】

コルクを起業した時、たくさんの先輩起業家たちが僕を助けてくれた。

彼らは僕がどんなビジネスアイデアを持っているかは、大して気にかけてはいなかった。創業当初のアイデアなんて、遅かれ早かれ壁にぶち当たり、カタチを変えていってしまう。それより、起業という大きな挑戦に踏み出した姿を評価し、応援したいと手を差し伸べてくれたのだ。

実は今、コルクラボから起業するメンバーが徐々に現れて始めている。

コルクラボでは大きな挑戦を強く推奨はしていない。大きな夢を語る必要もない。それよりも他の人から見たら些細なことかもしれないが、自分にとって意味のある小さな一歩をまずは踏み出してみようと話している。その小さな一歩の積み重ねが、外からみると大きな挑戦になっている。

その一歩をコルクラボでは、『聖なる一歩』と呼ぶ。

また、コルクラボでは、「あなたが好きなあなたになる」というコミュニティの理念を掲げている。自分を知り、自分をもっと好きになるための仲間と居場所をつくり、新しい挑戦をし、お互いを応援しあう。この考え方を大切にし、年齢も仕事も社会的状況も違う人たちが、深くコミュニケーションをしあうことで、コルクラボでは様々な化学反応が起きている。

そして、「あなたが好きなあなたになる」ための小さな一歩を積み重ねていたら、起業という一歩も無理なく踏み出すメンバーが自然と現れたことは、純粋に喜ばしいことで、僕は彼らを全面的に応援したいと思っている。起業したての頃に、僕が先輩起業家たちにしてもらったように。

今回は、コルクラボのメンバーで、『picki(ピッキー)』というサービスで起業をしたアキピン(鈴木 昭広さん)を紹介したい。

pickiは英語の「picky」が由来で、pickyとは騒がしいくらいに自分の好きにこだわりがあるという意味だ。pickyになっていくことは、あなたが好きなあなたになるための方法でもある。まさにコルクラボ出身者がやるサービスとして納得感があるサービスだ。

そこで、pickiの概要や起業に至るまでの想いについて、アキピンに寄稿してもらった。

大きな挑戦に踏み出した彼を応援してくれる人が、ひとりでも増えてくれた嬉しい。

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はじめまして。鈴木 昭広(すずき あきひろ)と言います。

現在、オリジナルのアパレルブランドを立ち上げたいと望む、個人のクリエイターやインフルエンサーが増えています。

「デザインはもちろん、使用する素材や工場の選定までこだわり、自分の個性をファッションで表現したい」

そんな本気でものづくりをしたい人達の、オリジナルファッションブランドの立ち上げから販売までを一貫してサポートする、『picki(ピッキー)』というファッションD2Cプラットフォームを僕らは立ち上げました。

ファッションアイテムの企画・生産・物流にとどまらず、pickiが展開するECサイトやオウンドメディアでは、つくり手の想いやこだわり、ファッションアイテムが出来るまでの生産過程など、ブランドの裏側にあるストーリーをユーザー(ファン)にダイレクトに届けていきます

pickiを立ち上げた根底にある僕の想いは、ふたつです。

ひとつめは、インフルエンサーやクリエイターが“自分の好き”を大切にし続けられる世の中を創りたいということ。ふたつめは、pickiをプラットフォームとして、来訪者(ユーザー)に、様々な個性的なクリエイターやインフルエンサーとの出会いを提供し、人生を変える瞬間を生み出す場に育てたいということ。

なぜなら、人生を切り開くのは、自分の視野を広げてくれたり、価値観を揺さぶってくれる、刺激的な人との出会いの積み重ねだと思っているからです。

僕は現在33歳ですが、10代の頃に読んだ堀江さんの著書『稼ぐが勝ち』に強く影響を受けて、20歳の頃から「自分も堀江さんのように起業をして、大きな事業を展開したい」と思っていました。

ただ、なかなか上手くはいきませんでした。僕は深く考えるより、まずは行動という人間です。チャンスがありそうだと感じたら、後先考えず行動に走ってしまう。そのせいで、失敗したことは数え切れないほどあります。

そんな僕が、pickiという本当に心からやりたい事業を見つけることができたのは、刺激的な人々との出会いの積み重ねがあったからです。

「個性的な人たちとの出会いが、人生を切り開く。自分に迷ったら、人と会え」

これが僕の生きる指針なのかもしれません。ここからは僕の生い立ちを紹介しながら、僕がpickiを起業するに至った道のりを紹介させてください。

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ソウル、ニューヨーク、北京。視野を広げに世界へ。

僕の生まれは大阪。父も母も自営業を営み、父は骨董商、母は百貨店でアパレル販売をする商売人の家に生まれました。

母親は韓国人で、両親は僕が高校の時に離婚をし、母はソウルに戻るのですが、僕も高校卒業後に母を頼ってソウルへと移り住みました。ソウルでは韓国語のランゲージスクールに約2年間通ったのですが、そこでの経験が僕の人生を大きく変えました。

そのスクールには世界各国から様々な人がきていました。白人もいれば、黒人もいて、アジアの人もいる。ずっと大阪で日本人に囲まれて暮らしていた僕は海外の人とのコミュニケーションに戸惑いました。自分とは全く違う人間だという目で彼らを見ていたのです。

しかし、韓国語を学び、お互いにコミュニケーションが取れるようになると、その先入観は払拭されていきました。自分と同じように将来のことや、人間関係のこと、恋愛のことに悩みをもつ同じ人間なんだとわかったのです。当たり前の話に聞こえるかもしれませんが、当時の僕にはとても新鮮でした。

同時に、海外の人たちは自分とは違うバックボーンを持っていて、価値観が重なり合うところもあれば、全く違うところもあると気づき、その違いが面白いと感じました。世界中にいる自分とは違う価値観を持つ人に、もっと出会いたいという気持ちが僕の中で強くなっていったのです。

また、僕の人生に大きな影響を与えることになる堀江さんの著書『稼ぐが勝ち』ともこの頃に出会います。堀江さんの考え方に触れて、自分もビジネスで大きなことを成し遂げたいという思いがむくむくと自分の中に湧き上がってきました。

その結果、世界中から様々な人が集まって、世界のビジネスの中心地となっている場所に身を置き、自分の視野をもっと広げたいと思いました。

その結果、ソウルの次はニューヨークに旅立ち、ニューヨークの後はオリンピック開催で活気に湧く北京で僕は暮らすことになります。

その2つの都市には、様々な夢を持つ人たちが集まっていて、これまでの僕には全くなかった視点をたくさん与えてくれました。そして、チャイナドリームという言葉が飛び交う北京で、僕は長年の夢であった起業を実現したいと思ったのです。


自分には何もない。 突きつけられた事実。

北京では、現地の経営者に会ったり、事業アイデアを集めたりと、起業の準備に半年以上を費やしました。ただ、準備をすればするほど、中国で日本人が起業をすることの難しさを痛感していきました。

中国で起業するには現地企業と資本を半分ずつにする必要があり、パートナーの存在が求められます。信頼できるパートナー探しが想像以上に困難でした。

また、中国人と一緒の土俵で戦っても絶対に勝てません。彼らの方がローカルの文化に圧倒的に精通しているし、人件費の感覚が全く違います。僕だからこそできることをやらないと勝負にならない。でも、それが全く見つかりませんでした。

これまでソウル・ニューヨーク・北京で、様々な人と出会い刺激を受けまくってきた僕ですが、はじめて「自分の価値とは何か?」を真剣に考え始めました。

そして導いた答えは、自分には何もないということです。

言語ができたとしても、ビジネスのことは何もわかない。そもそも、会社で働いた経験すらない…。このことに愕然とした僕は、韓国で母が営む会社を手伝いながら、ビジネスを学ぶことに決めました。

韓国に戻った僕は、母の日本向けアパレル製造販売の会社に加え、韓国の他のアパレル製造販売の会社にも就職し、そこでビジネスの勉強をさせてもらいました。そして、25歳の時に、ついに自分の会社を起業したのです。

僕がやっていたのは、日本でファッションブランドを展開する企業から発注を受け、韓国の質の良いアパレルメーカーで洋服をつくり納品するという受託生産のビジネスです。当時は多くの日本企業が韓国でアパレルを生産をする時代だったので、現地の質の良い縫製工場との繋がりが強みになる時代でした。起業してすぐに利益が出始め、ようやく事業家としての第一歩が踏み出せたのです。

しかし喜びも束の間。アベノミクスの発動により、一気に円安の流れが進み、為替の影響でキャッシュフローがガタガタになりました。すぐに内部留保が吹き飛び、借金生活に突入しました。

そうして28歳の時に、借金を返すために、長年離れていた日本に戻ることを決意します。日本企業を相手にビジネスをしていたこともあり、東京に仕事の拠点を移すことにしたのです。


世界を旅をしながら、自分を知る。

東京に拠点を移してからは、借金を返すために、粛々とアパレルの受託生産のビジネスを続けていました。借金を返すのに1年半ほどかかりました。

しかし、当時の僕には新鮮な発見がありました。それは、東京には面白い人たちがたくさんいて、会おうと思えば会えるということです。

そして僕が最も会いたいと思っていたのが、20歳の頃から本を呼んでいた堀江さんです。当時はちょうど堀江さんが自分のサロンを立ち上げたタイミングで、僕はサロンにすぐに入会しました。

今でも忘れられないのが、サロンの合宿です。平日の一泊二日で参加費は10万円。まだサロン全体の人数も少なかったので、参加人数は合計で20人〜30人くらいの少人数。そのなかに堀江さんはもちろん、マイクロソフトの成毛さんや、ひろゆきさんがきていました。そんな人たちと朝までお酒を飲みながら語り明かす。その体験が僕にとっては最高に刺激的で、堀江さんたちと同じ土俵に立ちたいという想いが再燃してきたのです。

そこで、世界で勝負ができるビジネスアイディアを探すために、世界中の起業家に会いにいく旅にでることにしました。イスラエル、パリ、ベルリン、南アフリカ…、結果的に1年で50カ国を訪ねました。

世界を旅してわかったのが、世界と戦うには日本の良いところをだしていくしかないということです。そして、日本のものづくりへのきめ細やかな姿勢は各国で非常に評価されているということでした。

また、「D2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)」というモデルがアメリカを中心に台頭してきていることも知ります。D2Cとは、メーカーやブランドが自らECサイトを構築するなどして直接消費者とつながり、ファンを増やしながら販路を拡大するモデルです。

大量生産されたもののを買う時代から、自分が本当に良いと思うものを目利きして購入する時代へと、消費の在り方が変わりつつあることを肌で感じました。そして、このD2Cの流れは確実に日本にも来るだろうと思いました。

それと世界を旅するなかで、僕は自分自身についてもすごく考えました。旅をする人ならわかると思うのですが、旅は移動の連続でバスや列車に乗っている時間が長いんです。自分は何に喜びを感じて、人生に何を求めているのか…? 窓の外に流れる異国の風景を眺めながら、そんなことをずっと考えていました。

その結果、僕は、自分の視点や価値観を揺さぶってくれる個性的な人たちとの出会いに大きな喜びを感じる人間だと理解しました。20代の僕はソウル・ニューヨーク・北京・東京と各地を転々としましたが、その原動力は全て、僕を前に進めさせる刺激的な人たちとの出会いを求めてのことです。

「個性的な人たちとの出会いが、人生を切り開く。自分に迷ったら、人と会え」

これが人生の行動指針になっていることに気づいた僕は、これからもまだ見ぬ個性的な人とたくさん出会いたいと思うと同時に、彼らが持っている個性を応援していくビジネスをしていきたいと考えるようになったのです。


クリエイターの独自の世界をパブリッシュする

こうして辿り着いた起業アイディアが、個性的なインフルエンサーやクリエイターが“自分の好き”を大切にし続けられる世の中を創る「picki」です。

世間ではD2Cの流れがきています。個人のインフルエンサーやクリエイターもオリジナルファッションブランドをつくりたがっているし、彼らを支持するファン(フォロワー)もそれを待ち望んでいます。

だけど、彼らはファッションの生産に関する知識やノウハウはありません。また、ものづくりにおいて信頼できる工場の存在は何よりも欠かせません。

僕はアパレルの受託生産をしていたので、ファッションに関する企画から生産・販売・物流までの知識や経験、そして質の高い縫製ファクトリーや生地メーカーとの繋がりを持っています。

そして、「picki」ではメディアでの編集経験があるメンバーも加わっていて、ものづくりの裏側にあるストーリーをコンテンツとしてオウンドメディアで発信していきます。

インフルエンサーやクリエイターの頭にある独自の世界を、ファッションという形で世の中に届けていく最大限のサポートをしていく。これが僕たちが役割です。

そんなことを考えていた時に、コルクの佐渡島さんが、「編集とは、作家の価値を最大化するために、作家の頭の中にある独自の世界をパブリッシュすることだ」と発言しているのを聞き、自分と考えていることが同じだと思いました。佐渡島さんから編集について学びたいと思い、僕はコルクラボに入りました。

コルクラボでは、素晴らしい仲間との出会いもありました。それは、僕と一緒にpickiの創業メンバーとしてジョインしてくれた松池 恭佑駒井 大毅です。ふたりともコルクラボのメンバーなのですが、松池はサイバーエージェント、駒井はDeNAで経験を積む優秀なふたりです。そんなふたりが、pickiが掲げている想いに共感して、チームに加わってくれたのです。

そして、佐渡島さんからは、コルクラボのメンバーである僕たちが挑戦するということもあり、コルクからpickiに資金を入れてくれました。また、こうして佐渡島さんのnoteで紹介してもらったり、事業についてサポートしてもらったりと、様々な角度から応援してもらっています。

佐渡島さんだけでなく、僕たちの夢を乗せたpickiは、ありがたいことに様々な人から応援をいただいています。ベンチャーキャピタルとして名高い、サイバーエージェント・キャピタル、Coral Capital 、VOYAGE VENTURESの3社からも総額約6,000万円の資金を入れていただきました。資金だけでなく、例えばサイバーエージェントキャピタルの北尾さんには、弊社のパートナー縫製工場にまで一緒に足を運んでいただいたり、土日問わず相談にのっていただいたり、資金面だけでなく、夢を一緒に賭けてもらっていると感じています。


軸が見つからないからといって、立ち止まってはいけない。

まだ、pickiは立ち上がったばかりです。

pickiは英語のpickyが由来で、「he is picky about coffee」 を日本語訳すると、「彼はコーヒーについてギャーギャーとうるさい」みたいな意味です。でも裏を返すと、それだけこだわりがあるということです。そんなこだわりを持った人たちが集まるような場所にしたいと思ってつけました。

また、pickyの最後をiに変えているのは、その中から自分(i)にピッタリなこだわりのある人やファッションブランドと出会って欲しいという想いを入れています。

現在は、「自分の軸で生きろ」「自分をブランド化しろ」といったような言葉が飛びかっています。それを否定するつもりはありません。全くその通りだと思うからです。

でも、自分の軸を見つけるのは、すごく難しいです。僕も自分の軸を見つけるまでに、とても時間がかかりました。

だけど、軸がまだ見つからない人は、そこで立ち止まるのでなく、自分に刺激を与えてくれる人たちと出会っていくことが大切なのだと思います。

「個性的な人たちとの出会いが、人生を切り開く。自分に迷ったら、人と会え」

繰り返しになりますが、これが僕にとっての人生の座右の銘です。

pickiによって、個性的な人たちが、いつまでも“自分の好き”を大切にし続けれられる。そして、pickiが場となり、個性的な人と出会える接点をつくり、人生を変える出会いを生み出していく。

是非、これからのpickiの挑戦を応援していただけると嬉しいです。

picki株式会社 代表 鈴木 昭広

             ・・・ ・・・ ・・・

アキピンの挑戦がうまくいくことを期待しているが、うまくいかなくても、笑って戻ってこれる場所(コルクラボ)があることが、心に余裕を生み出すのではないかと思う。

コルクラボの次回の募集は、夏以降の予定。興味がある人は、次回の案内用にメールを登録しておいてもらえれば!


編集協力:井手桂司

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コルク代表・佐渡島のnoteアカウントです。noteマガジン『コルク佐渡島の好きのおすそ分け』、noteサークル『コルク佐渡島の文学を語ろう』をやってます。編集者・経営者として感じる日々の気づきや、文学作品の味わい方などを記事にしています。
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