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「本物」と思えるものと、ただ「上手い」だけの差は何か?

何かを見たり、聞いたりした時に、「これは本物だ」と、否応なく感じる時がある。

この「本物だ」という感覚は何なのか?「本物」とそれ以外を分けるものはなんなのか。さらに、技術が高く、簡単に到達できない作品でありながら、「上手い」とは感じるものの、「本物」だとは思わない時がある。なぜその作品、作家は、「上手い」を超えれないのだろう。

クリエイターや作品を見極める編集者として、この問いによく向き合う。

facebookのタイムラインにたくさんSNOWの『AIアバター』を見ていると、「上手い」とは思うものの、「やっぱりAIが描いたものだな」と常に感じる。

振り返ると、去年からAIによる画像生成サービスが話題になり、AIがつくった様々な画像を見てきたけど、「これは本物だ!」と喝采するような経験は今のところない。

AIによる画像生成の技術が低いわけでは決してない。クオリティの話でいえば、確実に高い。今後、AIによる画像生成によって、創作のやり方が大きく変わっていくのは間違いない。でも、ぼくの中では、「上手い」という感想に止まっているのだ。

自然の植物とフェイクの植物を並べてみて、それぞれの「らしさ」をうみだしているものは何かと考えてみる。

フェイクの植物を本物らしくみせているのは、その素材の質感だ。どんな素材をどのように使えば、本物らしくなるのか。ぼくたちは技術を高めることができる。

一方、自然の植物を本物足らしめているのは何か。その部分なのか、全体なのか。細胞なのか、DNAなのか。

本物は、その由来を特定できない。辿ろうとするところ、どこを終わりにすればいいのかわからなくなる。どこまでも辿れてしまって、どれも決定的なそのものらしさではない。

しかし、不思議なもので、精巧なフェイク植物は、どれだけ精巧でも違和感を生み出し、本物だと感じさせないのに、すごく粗い植物の絵や彫刻を見て、本物だと感じる時がある。

そのような芸術作品は、直感的に「植物とは何か」ということをぼくたちに理解させ、本当の世界を見させてしまう不思議な力がある。本物と感じる芸術作品には、見たものを本当の世界の入り口立たせてしまうような力強さが宿ってる。

たんに「上手い」作品に欠けているのはなんだろう。

AIのイラストを見ていて面白いのは、例えオリジナルになったものが具体的に何かはわからないのに、「これにはオリジナルのものが別にあるだろう」と思ってしまうことだ。直感的に「何かを参考にして作ったものだな」とわかってしまう。

そう考えると、「本物」とは何かの変形や派生系ではなく、人というフィルターを通して、本当の世界を捉えようと努力したものではないか。

ぼくが編集者として、「自分が一皮剥けた」と感じた時がある。新人作家のネームを読んで、物語に憧れて描かれたものなのか、「自分の実感を再現したい」と世界を見て描こうと悪戦苦闘したものなのか、見極めれるようになった時だった。

基本的に「学ぶ」とか「創る」という行為は、何かの真似をすることから始まる。音楽にしても、好きなミュージシャンのマネをしてカラオケで歌ってみたり。料理にしても、レシピ通りにマネしてみたり。何もないところから、学びや創作が生まれることはない。

ぼくは模倣を推奨している。けれども、模倣によって技術を身につけた後、クリエイターはその技術を使って世界を見る。世界の過剰な情報が、作家というフィルターを通じて、削り落とされている。その削られて、残ったものをぼくは、本物だと感じるのではないか。

「本物」は人間の環世界の外への扉のようなもので、「上手い」は人間の環世界の中に閉じているものではないか。

ぼくはこの問いと向き合い続けるのだろう。「AIを使って創作したい」と思っているぼくは、「AIと上手い以上の作品を生み出せるのか」というすごく楽しみなお題を見つけた。

今週も読んでくれて、ありがとう!この先の有料部分では「最近読んだ本などの感想」と「僕の日記」をシェア。

また、ぼくがどのようにして編集者としての考え方を身につけていったのかを連載形式でシェアしていきます。コルク社内の中堅社員にインタビューをしてもらってまとめた文章を有料部分で公開します。

若手社員にこそ必要な観察と仮説

ぼくは、自分にとって知らないことがたくさんあるという感覚が大きい。その感覚が、観察と仮説を繰り返すことで学び続けるという習慣に繋がっているのかもしれない。

特に、新入社員として講談社に入社したときは、より強く、その感覚があった。

新人にとって、知らないことがたくさんあることは当然なのだが、「会社がいろいろなことを教えてくれる」とも思っていなかった。若いころのぼくは、何も知らない自分のことを「会社にいるだけで赤字を垂れ流している存在」だと感じていた。

だからこそ、自分から仕事を学びにいくことが、自分がやらなくてはいけない仕事だと思っていた。

例えば、先輩編集者の打ち合わせの仕方を学ばせてほしいと言って、お願いしたことがあった。

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表では書きづらい個人的な話を含め、日々の日記、僕が取り組んでいるマンガや小説の編集の裏側、気になる人との対談のレポート記事などを公開していきます。

『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…

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