自利と利他は、切っても切れない関係
近年、「利他」や「贈与」といった概念が注目を集めている。
以前に『言葉の語源を遡ると、違う景色が見えてくる』というnoteで紹介したが、日本で最初に「利他」という言葉を用いたのは、空海だそうだ。
空海は「自利利他」という言葉を使い、自分を利する「自利」と他者を利する「利他」は切っても切れない関係であり、自利こそが利他の土壌であるとすら空海は考えていたという。
自分を大切にすることが、他者を大切にする一歩となる。同時に、他者とのつながりについて考え、それを深めていくことが、自分を大切にすることにもつながる。
ぼく自身、30代半ば頃から、そんな風になんとなく考えてきたのだが、なんてことはない。空海をはじめ、仏教の人たちが既に繰り返し伝えてきた内容だったのだ。
先日、京都にある妙心寺で、知り合いの経営者の何人かと一緒に泊まり込みの修行をしてきたのだが、その際に法話で聞いた話も実に興味深かった。
それは「お守り」についての話だ。
昔は、お寺を訪れるのは簡単ではなかった。江戸時代においては、藩が移動を厳しく制限していたため、庶民は藩の外へ簡単に行くことはできなかった。そんな時代でも唯一許されていたのが、信仰心に基づいた巡礼だ。信仰心は無下にできないということで、神社仏閣への巡礼に関しては手形発行が認められていた。
そんな風にはるばる訪れたお寺で、仏からの加護を自分の家族や友人とも分かち合いたいと思って購入するのが「お守り」だ。
そして、「このお守りを、あの人に渡したい」「加護を分かち合いたい」という想いこそが、その人を守ってくれる。その想いがあるからこそ、帰りの道中も無事に過ごせる。また、そうした他人を想う気持ちがあるからこそ、仏の加護を得ることができる。
人に情けを掛けると巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという「情けは人のためならず」に近い話で、まさに自利利他に通じる考えだと感じた。
最近の自己啓発系の本を見ると、「自分の好きなことをやろう」「自分らしく生きよう」みたいな主張が目立つ。でも、他人のためを考えたり、社会のためを考えたほうが、結局は自分のためになるように思う。自利と利他は二項対立で、どちらがいいとかではない。同時に起きていく。
編集者の仕事も同じようなものだ。自分が企画したことを作家にうまくやってもらおうと考えても、うまく行かない。逆に、作家のことを考えて行動していると、気づくと自分のためになってくる。かと言って、作家のために自己犠牲な気持ちで頑張るといいかというと、それもまた違う。
自利と利他は鶏と卵のような関係で、どちらが先かを議論することは難しい。このふたつは切っても切れない関係であることを改めて再認識した。
脳内リハーサルのすすめ
若手のころのぼくは、コミュニケーションが上手くなかった。だからこそ、自分が考えていることをどうやって言語化するかが課題だった。わかりやすい言葉、伝わりやすい言葉に整理することに一番神経を注いでいた。
取材にしても、日常的な会議にしても、上手く進めたいと思ったコミュニケーションについては、必ず予行演習をしていたし、ときには、誰かに触りの部分を聞いてもらってフィードバックをもらっていた。
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コルク佐渡島の『好きのおすそわけ』
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…
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