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官僚の視点で教わった、いいリーダーのあり方

先月から首相官邸で開催されている「AI戦略会議」に、有識者のひとりとして参加していた。

このAI戦略会議には、内閣府、デジタル庁、総務省、経済産業省など、様々な省庁の人たちが参加している。こんな風に官僚の人たちと議論する機会は人生においては初で、その新鮮さはいい刺激となっている。

特に、印象深く感じているのが、官僚の人たちの多方面への配慮の深さだ。色々な立場や考えの人たちがいる中で、どういう方向性に国として進むべきなのか。普段、自分が考えていることは、自分の立場から最適なことだけなんだと実感した。職種によって見える景色が全く違う。

全てのステークホルダーから共感される案件などない。どちらがより公共性が高いのか、不確実な中で意思決定をしないといけない。官僚は、これだけの激務なのに、その役割を理解されにくい仕事で、その使命感に頭が下がる。

ちょっとした雑談の際に聞いた話が、自分のリーダーシップのあり方を考える、ちょうどいいエピソードだったので、今日はそれを紹介したい。

日本の官僚というのは、上司である大臣が頻繁に変わるという特性を持っている。そのため、彼らは異なるスタイルや考え方を持つ様々なリーダーと働く経験を持つ。そんな官僚の視点から見た「良い大臣と悪い大臣の違い」についてだ。

悪い大臣とは、計画に問題が起きた際、その原因を官僚の力量に求め、厳しく叱咤激励する。これが大臣の仕事だと考えている。厳しく管理を監視し、管理し、働かせる。そんな価値観でトップをしている。

うまくいっていない時に大臣のところに行っても、怒られてモチベーションは下がるし、やる時間が奪われるだけだ。だから、報告は後手後手になる。

一方、良い大臣とは、計画に問題が起きた際、そこまで官僚だけで動かしてくれたことに感謝する。そして、官僚の立場では限界があると考え、政治家の立場を用いて解決しようと自ら動いていく。関係各所に連絡を入れ、困難や制約を解消したうえで、官僚に改めてバトンを託す。

そういう大臣の時はトラブルが解決するから、官僚も大臣のところにどんどんトラブルの相談にいく。

要は、大臣である自らと官僚とでは、立場や実行可能なことが異なることを理解し、それぞれが持っている力を最大限に引き出すための支援をする。そうした大臣こそが、良い大臣というわけだ。

良いリーダーとは、部下を「管理する相手」ではなく、「仲間」として見る人。そして、仲間たちが動きやすい環境を整える人とも言えるだろう。

この話は、あらゆる職場やコミュニティーの対人関係で当てはまる普遍的な原則だと感じた。

例えば、会社で役職に就いて、それなりの人数の部下を持つと、部下を「管理する相手」として無意識に思ってしまう人は多いと思う。その結果、部下は厳しい評価や叱責に怯え、本来のパフォーマンスを発揮することができない。一方で、自分と部下は役割が異なることを理解し、「仲間」という視点を持つならば、全く違う結果が得られるだろう。

アドラー心理学でも、「他者は仲間である」という認識が重要と説かれている。基本的に人間は他者に悪意を持っていない。そして、こちらが悪意を持たなければ、どんな人とも仲間になる可能性がある。

ぼくの大好きなマンガである『ヴィンランド・サガ』には、「お前に敵などいない 誰にも敵などいないんだ」という言葉が象徴的なセリフとして何度も登場する。ぼく自身、起業してからこの言葉をよく思い出す。立場の違いゆえに見えてるものが違う時に、相手を敵だと思ってしまうのだ。

どうやって部下がトラブルを持ち込みたいと思う環境をつくるのか。報連相が重要だと繰り返し言っても意味がない。「トラブルを持ち込みたい!」と思わせてこそ、いいリーダーなのだと思った。


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表では書きづらい個人的な話を含め、日々の日記、僕が取り組んでいるマンガや小説の編集の裏側、気になる人との対談のレポート記事などを公開していきます。

『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…

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