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他人への印象なんて、どれもいい加減

他者を理解するとは、どういうことだろう?

ある人の行動が、その人の性質によるものか、環境によるものか、どうやって見分けるといいのか。

ぼくは、毎週ブログを書いているが、これすらもぼくも性質によるものか、環境によるものかわからない。

ぼくらは噂話をする。「あの人は、誰にでも優しいよね」とか「いつも気難しい」とか。その噂話は、その人へとにじり寄っているのか。全く近寄っていないのか。

他者への印象って、どれも実にいい加減なものではないかと、子育てをしながら思うことがあった。

ぼくは3人兄弟の長男で、ひとつ年下の弟がいる。その下に妹だ。

年齢の近い男兄弟がいる家はどこも同じだと思うが、ぼくたち兄弟も喧嘩が絶えなかった。『宇宙兄弟』の企画を立ち上げる時、自分の体験を紹介しながら、こんな些細なことで兄弟とは喧嘩するものなんですよと、実はひとりっ子の小山さんとよく話していた。

そして、ぼくは弟を小狡い奴だと思っていた。

なぜなら喧嘩の時の戦い方がネチネチしていたからだ。ツネってきたり、爪を立てきたり、人が痛がるところばかりを親に見えないようにこっそりと狙ってくる。弟が中学生になった後は、兄弟喧嘩といえば殴り合いになったが、小さい時の印象がずっと尾を引いていた。

大人になり、その小狡さをうまく隠して、社会に適応してるのだとぼくは思っていた。本当は、小狡いところがあって、パニックになったりするとまたその様子が出てくるだろうと。

でも、それはぼくの思い込みと決めつけでしかないと思うようになった。

ぼくの息子である小6の長男と小4の次男の喧嘩において、全く同じ構図が展開されているからだ。

小学生くらいまでは、少しの年の差が体格の違いを生む。弟の立場からすると、正攻法では絶対に相手に勝てないとわかっているので、相手が嫌がる別の何かを考える必要があるのだ。

弟の喧嘩の仕方は、性格ではなく、環境に起因していた。しかし、当時のぼくには、自分と弟の関係しか見えなくて、それを取り巻く環境を観察する余裕がなかった。そして、自分から見える世界を記憶していた。

親として喧嘩を仲裁する客観的な立場になって、次男の事情を理解することで、弟についても気づくことができた。ぼくは、次男に対して、小狡い奴といった印象をもったことは全くない。だが、長男は次男に対してぼくの過去と同じように思っていて、なぜ、ぼくがその狡さを許容するのかと傷ついてる。

平野啓一郎が分人主義とは何かを書いた『私とは何か』という本の中に、こんな一節がある。

私たちに知りうるのは、相手の自分向けの分人だけである。それが現れる時、相手の他の分人は隠れてしまう。

「私とは何か 『個人』から『分人』へ」 平野啓一郎 (著)

ぼくは弟のことを小狡い奴だと思っていたが、それは弟のぼく向けの分人に対して抱いていた印象でしかなかった。

相手の性格への印象なんて、自分へ見せる分人の印象でしかなくて、本質的な性格など誰もわからない。ひとりの人間の中には多種多様な分人がいて、本人ですら、どれが本当の自分の性格かなんてわからないだろう。

そう考えると、冒頭で紹介したような、「〇〇さんは優しいよね」といった他人の性格を評価する言葉は、ものすごく雑な言葉のように感じる。

相手が狡いと思ったら、自分が相手の狡さを引き出す器だったとも言える。相手のことを判断しないで、自分、もしくは環境の何が、相手からそのような要素を引き出しているのかと考えれるようになりたいと思った。


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表では書きづらい個人的な話を含め、日々の日記、僕が取り組んでいるマンガや小説の編集の裏側、気になる人との対談のレポート記事などを公開していきます。

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