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自分のものさしがあると、自然と「やりすぎる」

コルクでは行動指針のひとつに「やりすぎる」を掲げている。

以前に投稿した『若いうちは、量をこなすべきは本当か?』というnoteにも書いたが、この「やりすぎる」という言葉への解像度が上がってきている。
行動指針は、ぼく自身が体現できているわけではない。ぼく自身も、その言葉を何度も考え続け、更新していくものだと思ってる。

昔のぼくは「量」がまず重要だと考えていた。

多くの仕事をこなして経験を積んでいけば、自然と仕事の質が上がっていく。質を上げようとじっくりやっていても、再現性は身につかない。量をやりすぎるなかで、質をやりすぎるようになっていく。

一方で、量を追求しようとしてオーバーワークし、鬱っぽくなってしまう人もたくさん見てきた。それで次第に、「若いうちは、量をこなすべきは本当か?」という発想に辿り着いたのだ。一時代前の働き方、価値観のように感じた。

それで「やりすぎる」の意味をアップデートした。

新人時代にやりすぎるのは、量でも質でもなく、まずは「スピード」だ。
スピードをやりすぎる。

新人のうちは、時間をかけてもクオリティの高いものを出すことは難しい。仕事はやってみないとわからないことが多い。頭の中でこねくり回すよりも、アウトプットを早く出して、フィードバックをもらう回数を増やす方が、よっぽど成長する。

孫氏の兵法には「拙速は巧遅に勝る」という言葉がある。新人に関しては、この言葉がまさに当てはまる。

では、スピードが高まって、量もこなせるようになってきた人にとっての「やりすぎる」とは何なのだろうか?質をやりすぎるとは、どういうことなのか?今回、そのことへの解像度がぼくの中で上がったので再度書こうと思った。

自分の持ってる「ものさし」を明確にしていくことが、質をやりすぎることだ。

ものさしは「判断基準」「ハードル」という言葉を使う人もいるだろう。

自分の中で理想系とする基準があり、それを満たすために、または超えるために試行錯誤を重ねていく。周囲の人たちは「もう充分なんじゃないか」と思えても、本人からすると物足りなくて、手を止めることができない。他人に言われたからやり続けるのではない。やり続けないと自分が気持ち悪いのだ。

そうした姿は周りから見ると「夢中」になっているように映る。それが質を「やりすぎる」だ。「こだわりがすごい」と言われるような人の多くは、夢中になってる。本人としては、当然のことをしている感覚だ。

裏を返すと、自分にとっての理想系が明確でないと、「やりすぎる」は生まれない。どういったものを自分は美しいと思っているのか。どういったものに自分は気持ち悪さを感じるのか。自身のものさしへの深い理解が必要となる。

そのため、「やりすぎる」を実行し続けようと思ったら、「自分の好き」と深く向き合い続けないといけない。

また、こうした自己理解に止まらず、自分の身体と環境を元に作った独自ルールをつくるなどして、自分に働きかけをする工夫なども必要になるだろう。以前に『クリエイターにとって、「ゾーンに入る」技術とは何か』というnoteを書いたが、夢中であり続けるのは「意志」が必要となるのだ。

どうやったら、自分らしい「やりすぎる」を実行し続けられるのか。

結局、コルクという創作に携わる会社だから、最後は「好き」にたどりつく。自分が大好きなことを徹底して「やりすぎて」「さらけだして」「まきこむ」と「物語の力で、一人一人の世界を変える」ことができるのだ。


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『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…

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