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編集者が育つ環境を整えるべく、自分の「べき」を棚卸し

ぼくにとって、アウトプットとは、自分の思考を整理し深める行為だ。

本を書く行為も、そのひとつ。

既に明確な答えがあるものを原稿としてまとめるのではなく、ぼんやりと考えていたことへの解像度を高めていく。「わからないけど、わかりたい」と感じている対象について、具体と抽象を何度も行き来しながら、考えを少しずつ煮詰めていく。

noteを書く行為にしても、Voicyで発信する行為にしても同様だ。

自分が感じている課題感や毎日の振り返りを定期的にテキストや音声でアウトプットすることで、自分の中にある漠然とした考えを整理することができる。また、自分の考えをアーカイブしていくことで、昔と現在で自分の思考にどのような変化が起きているかを客観的に眺めることができる。

そして、自分の思考を整理し深めるためのアウトプット行為として、大変だけど価値を感じているのが、自分が講師をつとめることだ。

例えば、2019年に立ち上げた『コルクラボマンガ専科』で講師をつとめることも、マンガ編集者として大きな価値を感じている。

それまでのマンガ家との打ち合わせでは、いつも自分の感覚に頼ったものになっていて、体系的ではなかった。1対1の関係だと、コミュニケーション能力に頼ってしまって、体系化が甘くなる。だが、多くの新人マンガ家をコルクで育てることを考えると、共通言語が必要になる。編集者同士で視点や言葉を揃えていかないといけない。

そのため、マンガ専科では、新人マンガ家が成長していくために欠かせないエッセンスを体系化し、カリキュラムに落とし込んでいった。そして、受講生からのフィードバックをもとに、講師陣と議論を重ね、マンガ専科の講義内容は期を増すごとに進化を続けている。

マンガ専科をはじめる前と現在では、新人マンガ家への接し方が随分と変わった。コルクと一緒にやっている新人マンガ家もマンガ専科を受けている。そのため、打ち合わせで言葉が揃いやすい。

講師をつとめる行為の難しい点は、自分の考えをただ整理すればいいだけでなく、それが他者に伝わるように噛み砕く必要があることだ。その分、しっかりとした講義ができれば、相手と共通言語が生まれる。それは、仲間を生むことにもつながる。

マンガ専科を起点に、仲間がどんどん増えていっているような感覚がすごくある。コルクに所属していなくても、マンガ専科で学んだことを活かして、活躍している卒業生の姿を見ると、すごく嬉しくなる。

今、マンガ専科は9期目まできていて、新しく募集を開始する。

そして、今年。
自分が講師をつとめる行為として、新しい挑戦をする。

編集者としての実務における知見を共有する試みだ。

例えば、取材対象者へ依頼メールを送る際には、どんな文面がいいのか。どんな風に、日程調整を進めていくのがいいのか。事前の下調べとして、何をするといいのか。取材場所の手配では、どういうことを意識すべきか。こうした超具体的な内容を扱っていく。

こうした知見には絶対的な正解はなく、編集者ごとに様々なスタイルが存在するはずだ。だが、「ぼくの場合ではこうする」と、実際の経験談を踏まえながら話をしていく。要は、ぼくが「どんなことを考えて」「どんな行動をしてきたのか」を棚卸し、共有していく講義だ。

この講義は、コルクラボギルドが主催する『編集学校』というスクールで行っていく。場所は福岡で、10人くらいの少人数で行う。

編集論について話をする講師をつとめたことは何度もあるけれど、こうした具体的な実務について話をするのは今回がはじめてだ。

そもそも、ぼく自身の話をすると、自分の「では」ばかりを語る場が、あまり好きではない。そのため、ぼくが講師を務める際は、「とは」でお題を立て、それについて議論をする場にすることが多かった。

この「では・とは」は石川善樹が言い出した言葉で、以前に『正解主義の「では」派と、なぜなぜ主義の「とは」派』というnoteに詳しく書いた。

違いを簡単に説明すると、こんな感じだ。

・では派→「○○では?」と事例を紹介する人たち
・とは派→「△△とは?」と自問する人たち

では派は、「ハーバードでは…」「ハリウッドでは…」と、事例を持ち出す。もちろん事例自体が面白くて、示唆に富むときがある。でも、「では」だけで会話していると、何も深まらない。その事例を知らない人は「そうなのか」とただ情報を受け取ることしかできない。

一方、「時代を生き残る面白い作品とは?」のように、「とは」で会話をすると色々な意見が出てくる。ある人の意見は、絶対に違うように感じることもあるだろう。それで議論になる。「とは」の問いに正解はなく、その人らしさがあるだけだ。

ぼくの編集者としてのキャリアを振り返ると、「とは」について考え、自分なりに必死にやっていくうちに成長してきた感覚が強い。

講談社のお題は、講談社の社是である「面白て、ためになる」とは何かだ。そして、モーニング編集部のお題は「読むと元気になる」とは何かだ。「面白て、ためになり、読むと元気になるとは何か」を自分なりに考え、カタチにしていくことで、講談社に編集者として育ててもらった。

逆に、「講談社では、こうしなさい」「モーニング編集部では、こうしなさい」といった「では」は一切教えられていない。「とは」の縛りはあるけど、「では」の縛りはない。そうした自由な環境で、「とは」について向き合わせてもらったことで、自分は成長できた。

そういう感覚があったので、自分の「では」を他者に押し付けたくないという気持ちがすごくある。だから、編集の学校でも、コルクの社内研修でも、そうした自分の「では」を語ることは避けてきた。それよりも、「とは」について語り合い、自分なりの答えを見つけて、実践していくことのほうが、編集者として成長する近道になるはずだと考えてきた。

でも、これはぼくの成功体験を他者に当てはめようとしているだけかもしれない。もしかしたら、ぼくの「では」を共有し、それを最初の型として手渡していったほうが、新人編集者にとっては動きやすくなるかもしれない。そうしたことを去年くらいから考えるようになった。

実は、こう思うようになった背景として、コルクを応援してくれる複数の外部の人たちから共通して指摘されたこともある。みんながそう言うのなら、一度、本格的に着手してみようと思い至ったのだ。

先週のnote『コルクで実現したい、編集者集団の在り方』にも書いたが、ぼくがコルクの経営者として今年掲げているテーマは、編集者が育つ場作りだ。その一環として、自分の「では」を棚卸する試みは、とても有意義な挑戦のように感じている。

ぼくの「では」をみんなに押し付けるつもりはないけど、しっかりと自分の知見を共有することをやりきりたい。


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表では書きづらい個人的な話を含め、日々の日記、僕が取り組んでいるマンガや小説の編集の裏側、気になる人との対談のレポート記事などを公開していきます。

『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…

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