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語り得ないものを語ろうとする、ささやかな試み ー 村上春樹「猫を棄てる」を読んで

回転木馬のデッドヒート。

中学生だった僕の心を撃ち抜いた言葉だった。人生は所詮、回転木馬のデッドヒートにすぎない。『回転木馬のデッドヒート』という短編集のために書かれた序文。その数行が、僕の人生観を決定付けた。僕らは、どこへも行かない。誰とも競っていない。デッドヒートと感じるのは、僕らの妄想にすぎないと。

他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉われていくことになる。 おりとはその無力感のことである。我々はどこにも行けないというのはこの無力化の本質だ。我々は我々自身をはめこむことのできるの人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。

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この写真は、僕の後ろに飾ってある絵だ。『クリスマス・キャロル』などで有名なディケンズの小説の挿絵だ。どのような思いを込めてくれたのかは僕は知らない。両親が30年前に、僕の子供部屋に飾ってくれた。

この絵は、ずっと僕のそばにはなかった。今回、コロナになり、自宅に仕事部屋を作ることにした時に、この絵を飾ろうと思った。物語、キャラクターを大事にする僕にとって、ぴったりの絵だと感じたから。

飾った絵をみて、僕の子供部屋に飾ってあったことを思い出した。それで、ふと回転木馬のデッドヒートという言葉が、頭を過ぎった。遠くまで来たつもりで、僕はずっと同じ場所にいたのだと。

そして、村上春樹も回転木馬でデッドヒートをしていた。小説家として、長いキャリアを歩んだ村上さんのメリーゴーランドは、一周してきて「風の歌を聴け」の時と同じ場所へとやってきた。

『風の歌を聴け』と『猫を棄てる 父親について語るとき』は、対を成す作品だと僕は感じる。

どちらも語り得ぬことを、語ろうとする試みだからだ。

『風の歌を聴け』の冒頭に、こんな文章がある。

 今、僕は語ろうと思う。
 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療法の手段ではなく、自己療法へのささやかな試みに過ぎないからだ。

この文章が、村上さんが小説を書く理由の全てを表している。

『風の歌を聴け』では、自殺してしまった彼女について、『猫を棄てる』では、父親について文章を書くことで、自己療法へのささやかな試みをしている。

『猫を棄てる』には、「父親について語るとき」という副題がついている。僕は、たくさんの父親との思い出が語られるのだと思っていた。でも、猫を棄てた時の思い出が中心となり、他は記録を調べることを通して、父親を描いていく。

村上さんと父親の間には決定的で相容れない確執が長年続いていたらしい。20年以上まったく顔を合わせず、よほどの用件がなければ連絡をとらず、ほぼ絶縁状態が続いたそうだ。

ふたりがようやく顔を合わせたのは、父親が亡くなる直前。そこで村上さんが見たのは、重い糖尿病を患い、身体の各部に癌が転移し、ほとんど見る影もなく痩せこけ、まるで別人のような父親の姿だった。

父親と何があったのか。

父親は、戦争のトラウマを話すことで息子に引き継ごうとした。はっきりと引き継いで欲しいという意志があったわけではないかもしれない。しかし、共有しようとした。

その共有しようとする態度を、村上さんは、拒否した。村上作品は、一貫してトラウマがテーマになっている。

『風の歌を聴け』で、「僕」は彼女の自殺という出来事を、誰とも共有することなく、自分でその気持ちを処理しようとする。トラウマを誰にも共有しない。

村上作品の主人公たちは、ずっとトラウマ、闇と一人で戦ってきた。彼らは、誰ともトラウマを共有しなかった。その生き方には、村上さんと父親の関係が影響していたのだということに『猫を棄てる』で気づく。

ずっと父親のトラウマを引き継ぐことを拒否していた村上さんが、それを受け入れる。

一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体として輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。『猫を棄てる』

このシーンを読んだ時、僕の中で平原と還っていく象の姿が思い浮かんだ。それは、もちろん『風の歌を聴け』の中のこんな文章を思い出したからだ。

うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そして、その時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。『風の歌を聴け』

メーリーゴーランドは一周して、同じ場所へとやってきた。1979年には、父親の戦争体験を受け取ることを拒否していた村上さんが、『ねじまき鳥クロニクル』でノモンハン事件を描いたりと、書くことを通じて、戦争を受け入れていった。そして、『猫を棄てる』を書くことで、父親を受け入れていった。

次に何を書くことになるのだろう。これから村上さんが書くものは、何か新しいものになるかもしれない。そんな期待が、長年の村上作品読者として湧いてきた。

最後に、村上さんが翻訳しているティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』の中の「覚え書」から引用をしたい。僕は、作者が書いていることに共感するのではなく、それを書こうとしている作者の状況、環境に共感して、作者を好きになるのだろう。書くことの切実さが、作品から伝わってくる時に、作者をもっと知りたくなるのだ。

私はものを書くことをセラピーであるとは思わなかったし、今でも思ってない。でもノーマン・バウカーの手紙を受け取ったとき、私はこう思った。俺は文章を書いていたからこそあの記憶の渦の中を無事に通り抜けてくることができたんだな、と。もし文章を書いていなかったなら、私だってどうしていいかわからなくなっていたかもしれない。あるいは、もっとひどいことになっていたかもしれない。でも物語を語ることによって、君は自分の経験を客観化できるのだ。君はその記憶を自分自身から分離することができるのだ。君はある真実をきっちりと固定し、それ以外のものを創作する。君はある場合には実際に起こった物事から書き始める。たとえば糞溜め野原の夜の出来事だ。そして、君は実際に起こらなかったことを創作して、その話を書き進める。でもそれによって君は真実をより明確にし、わかりやすくすることができるのだ。『覚え書』ティム・オブライエン

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実は、村上春樹さんの『猫を棄てる』については、読み終わって直ぐの頃に、Youtubeチャンネルで感想を語っている。今回、読書会をして、さらに文章を書くことで、僕にとってもいい思考ができた。

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