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弱者に寄り添うキャラクター

 新人作家とベテラン作家は、生み出そうと挑戦するキャラクターの種類が違う。

 新人は、多くの人の記憶に残る強いキャラクターを生み出そうとする。そうしないと、作家として生き残っていけないからだ。しかし、強いキャラクターは、多くの人の憧れを生むが、弱者に寄り添うことはない。

 編集者をしていると、様々な方向から意見が届く。中にはびっくりするような感想もある。『働きマン』を読んで仕事をやる勇気をもらったという感想がほとんどだが、自分が仕事をできてないという現実をつくつけられてしんどくなった、という感想も来る。そのような感想の対応をしたら『働きマン』は別の作品になってしまう。しかし、作家は、そのような読者の心にも届く作品を描きたいと思う。そのような試行錯誤の中でできた作品が、『オチビサン』だ。詳細は、安野モヨコのこのインタビューを読むとよくわかる。

 ベテランになると、弱者と寄り添えるキャラクターを生み出そうとする。そちらの方がずっと難しいし、人生経験がないと描けない。作家のキャリアをつくっていくうえで、挑戦しがいのある課題だ。

 今、平野啓一郎と『マチネの終わりに』の次に書く作品について打ち合わせをしている。打ち合わせの最中に、平野啓一郎は「小説がどのように弱者に寄り添うのか」ということを何度も口にする。それで、僕も強く意識するようになった。確かに『空白を満たしなさい』は自殺に悩む人たち、自殺遺族に寄り添った作品だし、『マチネの終わりに』も40歳を過ぎて自分の生き方を見失ったギタリストの話だ。弱者に寄り添うためには想像力が必要とされる。そして、作家自身の精神的な強さも。弱い人を弾くのは、強さではなく、それを受け止めきれない弱さと想像力の欠如だ。

 保毛尾田保毛男の件が話題になった。それに対する批判への批判を見かけた。そこの議論に僕は参加するつもりはない。ただ、弱者への配慮が足りないという批判を受けたら、それはどれだけ必死に考えた結果だとしても、クリエイティビティの敗北だと思う。批判し返すのではなく、そのような弱者の気持ちをも想像した作品へと昇華させようと努力することが、作品に向き合う姿勢ではないか。作品との向き合い方は、人それぞれだが、僕は常にそのような姿勢で作品と向き合いたいと思っている。

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 今週の購入用のおまけ記事は、『宇宙兄弟』の小山宙哉が弱者に寄り添っている作家だと感じた時のエピソードを。

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