リアクションを設計する
創造するとは、どんな行為なのか?
すべての創作物は、尊い。子供が描いた絵は尊い。ネット上に溢れている、たくさんの人のたくさんの言葉。どれも尊い。でも、僕はそれらの多くには関わらない。そのような創作物と、僕が関わろうとする創作物の間には何があるのか?
ネットの記事とある本をほぼ同時期に読む中で、その間にあるものを言語化することができた。
リアクションが設計されているかどうかだ。
脳科学者の中野さん、コピーライターの佐々木さん、simpleshowの吉田さんの鼎談のログミーの記事の中にこんな話がある。
『次の土曜空いてますか?』。この伝え方じゃどうなるかわかりません。
『めったに予約の取れないイタリアン、今なら今週の金曜か土曜に取れるんです。予定どうですか?』こう伝えたら大成功!
『AとB、どちらがいい?』と聞かれると、人はついどちらかを選んでしまうもの。コツは選ばれてもいいもの2つを用意すること。
『中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?』の中にこんな文章があった。
私がツイートする番組情報は、あくまでも普通の会話をするためのきっかけ。そうか!みんなが話しやすくなる材料をツイートすればいいんだ!
どちらもリアクションをどう設計するかを意識する話だ。
作家は、心の中に、自分が考えたことを外に吐き出したいという創作意欲を抱えている。その創作意欲だけなら、日記、プライベートで楽しむものにすぎない。その気持ちを外に吐き出すことで、社会を、触れた人を、どう変えたいのか。そこまで設計して、かなりの部分、設計通りの反応を引き出してこそ、プロの創作物だ。さらに、その作品に含まれる余白によって、作者も設計してなかったリアクションもうまれると、さらにいい。
『宇宙兄弟』の感想で、「夜空を見上げて、月をみることが増えた」「ムッタ、ヒビトみたいに挑戦してみようと思います」そんな感想がくると、本当にうれしい。
『マチネの終わりに』で、「先が気になってページをめくる手がとまらなかったのだけど、美しい物語で読み終えたくもなかった」という感想がくるのも、すごくうれしい。
どちらも打ち合わせの時に、こんな感想がくるといいなと作者と話していたからだ。
作品とは、それ単体で存在できない。リアクションも含めて、一つの作品だ。リアクションを想定してないものは、趣味になってしまう。
毎週金曜日の朝9:00〜10:00は新しい才能と出会うための持ち込みの時間としてあけている。
リアクションを設計しながら作品を作りたい人は、ぜひ、応募してほしい。
僕のツイッター@sadycorkに直接話しかけてくれれば、時間枠を抑えます。
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