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昔と違って、“虚無主義”に陥らない理由

今から振り返ると、中学から大学くらいまでの間、ぼくは「虚無主義」に陥っていた。

メタ的な視点を高めていくと、すべてのことは諸行無常で、儚いもののように思えてくる。結局、死ぬから全てのことに大差がなく感じる。

長い時間軸で社会を見ていくと、今、価値があると信じられているものも、別の時代の非常識だったりする。

例えば、江戸時代の祭りについて調べると、今の祭りと違いすぎて驚く。それと同じで、現代社会においてぼくらが当たり前のようにやっていることも、数百後の未来の人たちからすると、奇妙に思えるものばかりになるだろう。そんな時に、なんで今の常識に縛られる必要があるのか。

メタ的な視点をもっと高めて、数千年・数万年の時間軸で考えると、日本語という言語や、人間という生物ですら、この世に残っていない可能性が高い。人の命なんて、宇宙規模で考えるとほんの一瞬なのだ。

全てのものごとには意味も価値もない。頑張っても、全てが無になる。学生時代のぼくは、虚無主義からくる無気力を抱えながら毎日を過ごしていた。

だけども、社会人になったことで、半ば強制的に思考のスイッチが変わった。

編集者という仕事には、所詮無になると思っていても、やりがいを感じることができた。社会に必要な「魂の食べ物」を生み出しているという自負を持ちながら、20代・30代は仕事に没頭することができた。

数百年後や数千年後のことは考えず、どうやって目の前の作品をいいものにするか。どうやって今を生きる人たちに、この作品を届けていくか。過去や未来ではなく、今にとにかく集中するようにした。ある種、メタ的な視点が一定ライン以上に高まらないように意図的に留めてきたとも言える。

だが、40歳を迎える頃から、改めて「自分とは何者か?」と考えるようになってきた。

先日のnote『技術ではなく、技能を熟達させた先にあるもの』にも詳しく書いたが、孔子は論語で、迷わずに自由に物事を見ることが出来る「不惑」に40歳にしてなり、50歳にして「天命」を知ったと言っている。ぼくは現在42歳なので、残りの8年で天命の境地に達したい。

自分とは何者かを考えようとすると、「そもそも人間とは何か」「人間にとっての幸せとは何か」といった抽象度の高い「問い」へと結びつく。同時に、自分についての観察も必要となる。

そうしたことを考えるなかで、仏教に強い関心を持ち出した。仏教は2,000年以上も前から、人間や幸福について考えてきたものだからだ。

仏教の根本には「色即是空」という言葉がある。すべての形あるもの、物質的なものは、その本質においてはどれも実体がなく、「空(くう)」であること。それゆえに、なにものにも執着してはならないという考えだ。

全てを手放し、全てを諦め、なにものにも執着しない。こうした仏教的な考え方は、ここ数年のぼくにものすごく影響を与えてきた。そして、この全てを手放すという考えは、一見、虚無主義と似通っているように見える。

だが、学生時代の頃とは違って、無気力な気持ちに陥ることはない。この差は何なのか。その問いについて考えていたのだが、その答えがぼんやりと見えてきた。

それは「生かされている」感覚を持つようになったこと。

瞑想や座禅をやっていると、自分という主体が息を吸っているのではなく、自分の意思とは無関係に身体が脈を打ち、空気が自然に出入りしていることがわかる。自分という存在も大きな自然のなかの一部であり、自分という存在は「生かされて、生きている」ことに気づける。

世の中のすべてのものは繋がりあっていて、個として独立しているものはひとつもないという意味の「諸法無我」という言葉が仏教にはあるが、その言葉のもつ意味が見えてくる。

この生かされている感覚や、世界から自分の居場所が与えられている感覚を持つと、世界の見え方は大きく変わる。いつかは自分もこの世から消えていく儚い存在と思うことはなくなり、死んだ後に自分の意識は消えても、自分と世界との繋がりは消えないのではないかとすら思えてくる。

こうした「生かされている」感覚をもつためには、身体に意識を向け、感覚を解放し、世界との繋がりを感じることが欠かせない。仏教の世界から、座禅や瞑想やヨガが生まれていった理由が、ようやく理解できてきた。

身体感覚を解放して、世界との繋がりを感じる。

どんなにメタ的に考えていっても、世界との繋がりを大切にしていれば、虚無主義には陥らない。永遠について考えると、一瞬のありがたさに気づき、今に集中できる。

これは、ぼくの人生において、大きな発見だ。


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