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恥ずかしくて、ほとんど人にしたことがない話

 周りの人からみると大したことではなくても、なぜか恥ずかしくて言えないことというのが存在する。

 コルクは、行動指針の一つ目を「さらけだす」とした。社員にさらけだしてもらうためには、僕自身も勝手に恥ずかしがっていないで、そういう気持ちをしっかり言語化していかねばならない。それで、やっと書く気になれた。

 僕は小説家を目指していた。講談社に入社する時も、退社は小説家になってだと思っていた。ベンチャーを起業して退社するなんて、夢にも思っていなかった。

 高校生3年生の春、受験勉強をしないといけなかったけど、集中できなかった。それで文藝春秋が主催している作文コンクールのようなもの「文の甲子園」というのに、短編小説を書いて応募した。原稿用紙5枚くらいの短い短編だ。審査員は、野田秀樹、養老孟司、俵万智と豪華な顔ぶれだった。当時、まだ携帯電話を高校生が持つ時代ではなかった。最終選考に残って、最終結果が、授業中に学校に電話がかかってくることになっていて、すごく緊張したのを思い出す。甲子園というタイトルがついている賞なので、3人一組で文章を提出して、総合点で競う仕組みだった。そこで、個人特別賞をもらった。

短編は、登校拒否の男の子の話だった。与えられたお題に合わせて文章を書くという形式で、「敬遠」というのが、僕が選んだテーマだった。授賞式で俵万智さんから「学校は行った方がいいよ」とアドバイスをされて、「実は、全く登校拒否じゃないんです」と答えて驚かれた。僕の文章が、文藝春秋に掲載された号に、村上春樹さんの『約束された場所で』での第1回目も掲載されていた。僕は村上さんの大ファンで、村上朝日堂を通じて、村上春樹さんとメールのやりとりを2、3度したことがあった。だから、あまりにもうれしくて、村上春樹さんに同じ号に載っているから自分の文章を読んでほしいと図々しくもメールをしたりもした。

 「プロフェッショナル」にきた弟子の子たちのように、当時の僕が、今の僕に弟子入りしたら、なんと言われるのか?

「そんな賞とっても、作家になるかどうか関係ないよ。毎日、努力できるか、どうか、書いてみなよ」と残酷に言われ、肥大しきっていた自我のやりどころを僕は失っただろう。

 大学に入った僕は、何度も小説を書いた。どれも初めばかり。一度も書き終えることができなかった。物語を書き終えることの大変さを僕は知っている。だから、どんな作品でも、完成されている作品は、それだけ素晴らしい。たとえ、それが誰からも評価されなくても、素晴らしいことだし、尊敬に値する。大学生時代に読んでいたカート・ヴォネガットの小説の中に「自分がシェイクスピアやドストエフスキーだと思えないなら、小説を書くな。読者は、そっちを読む方が幸せだ」というようなことが書いてある。

 僕は自分が小説家を諦めた人間だから、それを目指している人、やりつづけている人を、自分ごとのように応援できる。講談社に入って出会った作家の才能は偉大だった。僕の強みを活かすためにも、サポートに回る方が、お互いに幸せだと感じ、僕の中で迷いがなくなった。

 作品を書き上げているだけで、素晴らしいことだと思うから、新人作家を支援するのが好きなのだと思う。僕の個人的な気持ちだけ表にだすと、すべての作品が完成しているだけで素晴らしい。その作家をビジネス的にサポートすると考えた時に、別のアドバイスが出てくるだけなのだ。

 今週のコンテンツ会議でこんな話をしようと思ったのは,ほぼ日の「私の嫌いな人」というエッセイを読んだからだ。これはほぼ日塾の課題として書いたものなのだろうけど、自分のこころをさらけだしていて、すごく素敵な文章だった。今週の僕の一番は、このエッセイ。

 心をさらけだしても失うものなんて何もない。何もないのに、何かがあるふりをして行動しないで、本当に大切な何かを手に入れられない。まずは「さらけだす」ことから始まる。僕はほとんどのことを諦めない男だけど、小説家になるという夢は諦めた。そして、そのことへの後悔がないから、今の僕がある。でも、諦めたということはさらけだせていなかった。一体、僕は何を守っていたのだろう。

僕のツイッターアカウントは@sadycorkです。

コルクとnoteで新人賞を行っています!あと毎週金曜日9時〜10時は、持ち込むの時間として空けています。







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