自己認識を深める鏡の探し方
誰かのことを、「セコい」とか「ずるい」とか、思ったことがあるだろうか?
僕は、ある。そして、ちょっと時間が経って、実はセコかったり、ずるかったりしたのは自分かもしれない、とふと気づいて恥ずかしくなることがある。
人は他人を観察するときに、自分の中にある「ものさし」を使う。
「セコい」という感想が湧き上がってくるのは、その基準が自分の中にあるからだ。本当に、おおらかであれば、他人がセコいかどうかも気にならない。その「ものさし」が自分の中にない。
僕は自己認識をどうやってあげたらいいかを常々考えている。
『insight』という本を去年読んでから一層、意識するようになった。フィードバックをもらうのが一番いい方法だけど、そのような機会はなかなかもらえない。
代わりになる、もっと気軽にできるものがないか探していた。
そして、見つけた。
Aさんは、人気者で、人から信頼されていて、僕と仲がいい。でも、Bさんが、僕に「Aさんて信頼できない」って話をよくする。そして、共通の知人が「AさんとBさんって、性格が瓜二つだよね」と言っているのを聞いた。同じような話が他の人でもあって、ハッとした。
人は、自分と似ている人であれば、いいところも悪いところも気づきやすい。似ていないければ、気づくこともできない。
「好き」を見つめているとやりたいことは見つかるかもしれないが、自己認識はあがっていかない。自己認識をあげるためには、「嫌い」を見つめるといい。
誰かに不満を持つということは、そこに自分のこだわりがあるということを指し示している。
「あの人は怒りすぎ」という時、その発言は、その人が怒りやすいという事実ではなく、発言した人が「人前で怒るのはよくない」という価値観で我慢している事実を示している。
自分に関係していないと感情は動かない。正でも負でも、感情が大きく動いた時は、自分の何か重要な価値観に触れたということなのだ。
感情こそが、自己認識を深めてくれる鏡だ。
そのように考えると、いい感情だけを味わおうとすると、自分を正しく見ることができなくなる。いろんな感情を味わうのが、全部いいことになってくる。「好きの反対は、嫌いではなく、無関心」という言葉はよくいうが、好きも嫌いも、自己認識を深める上では、ほぼ同じ役割を果たす。
自分の心の中に湧き上がる負の感情を否定するのではなく、自己認識のための鏡だと思えば、いろんな感情が楽しくなってくる。悲しみですら。
<追記>
今回の内容を、Youtubeチャンネルでも補足として話をしたので、こちらもあわせて見てもらえると嬉しい!
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