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「意味のイノベーション」を求めて

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 高校時代に柄谷行人の『意味という病』の本を手にした。正直、ほとんど理解できなかった。でも、自分が「意味」に囚われすぎていて、そこから逃れたいという思いを持っていた。

 大学時代に『不毛論』という本を愛読した。不毛なものを偏愛し、意味に捉われない姿勢に共感したのだ。

 社会人になり、編集者として独り立ちするために、必死に学び続けた。必死になっている時は、意味に囚われることはことはなかった。編集者としての一通りの型を身につけ、その技術をもって、「さぁ僕は何をする?」と問いかけたところから意味にまた囚われだした。意味に囚われるということは、一生抜け出すことのできない、自問自答の輪廻に入ることではないか、そんな心配があった。

 しかし、今月のコルクラボの課題図書に選んだ『突破するデザイン』を読んで、僕は「意味のイノベーション」を起こしたいのだと言語化して自覚することができた。社会に改善点がたくさんある時は、多くの人は意味ではなくソリューションを求めていた。僕はソリューションを求めることには興味がなかったのだと思う。ソリューションがあふれだし、価値が相対的に低下して、意味の価値が上がった。『不毛論』の副題は、「役に立つことのみじめさ」で、否定しているのは意味ではなく、ソリューションで、僕は共感していたのだろう。現代は、誰もが意味を求め出しているが、そのことをまだ自覚的になれていない、そんな時代ではないか。

 東京オリンピックを開催すること、国立競技場、ロゴ、なぜ収束しない議論が起きたのか? 東京オリンピックを開催した方がいいと思った人は、経済的な側面を強調したし、競技場もロゴも、技術的な側面を専門家たちは支援した。東京オリンピックにまつわる様々なことは、ソリューションとしては正しいことが多いのだろう。心理的に納得できなくて反論している人は、そのソリューションの否を探そうとして、議論はややこしくなった。

 専門家は意味のイノベーションが簡単におきないことを知っている。だから、東京オリンピックを最善のものにしようと、最善のソリューションを提示した。世の中は、東京オリンピックで、今の東京にどんな新しい意味が付加されるのかを期待していた。開催時にそれが提示されなくても、競技場の発表で、ロゴの発表で、それが明らかになると秘かに期待していた。だから、洗練されていると言われても、意味のイノベーションが起きていない時点で、失望したのではないか。そして、失望は怒りへと転化する。

 コルクの理念「心に届ける。好きを熱狂に」は、コルクのやりたいことを簡潔に表している。しかし「意味のイノベーション」を起こす予感のある言葉ではない。まだ言葉を探さなくてはいけない。思考して、まずは言葉でたどり着く。それから、行動に意味のイノベーションを起こすのだ。

 『突破するデザイン』は、タイトルから想像できる内容とはずいぶん違い、今の時代を理解する助けになる本で、おすすめだ。

 僕のツイッターアカウントは@sadycork。フォローをよろしくお願いします。そして、『突破するデザイン』の読書会などを開催しているコルクラボは、こちらから。

 毎回、サポートありがとうございます! 今回の記事は、僕が積読している本たちです。誰か一緒に読む人がいると、読み進められそうなので、リストの中の本で読書会を朝にしたい人がいれば声をかけてください。声がけをする人がたくさんいたら、ブックラボトウキョウの西村さんに声がけして、朝の読書会をしてもいいかもですね。

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