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未完のまま終わる仕事こそ、もっとも幸せ。

マンガ家のみなもと太郎さんが、先月、亡くなった。

みなもと太郎さんの代表作といえば、1979年の連載開始から40年以上に渡って描き続けている歴史マンガ『風雲児たち』だ。

「こんなに面白い歴史を、学校ではどうしてあんなつまらなく教えられるのか分からない」

2004年に手塚治虫文化賞の特別賞を受賞した時、みなもと太郎さんは記者にこう語ったという。

ぼくは『風雲児たち』をはじめて読んだのは社会人になってからだったけど、もし中高生の時に出会っていたら、人生が変わっていたかもしれない。大学では日本史を専攻し、歴史研究家の道を歩んでいた可能性もある。

多くの歴史ものは、事実に沿って、歴史を語る。だが、みなもと太郎さんは、人物たちの感情にそって、歴史を語る。名前だけ知っていた偉人たちの人間としての顔が浮かび上がってきて、杉田玄白・平賀源内・吉田松陰といった人が大好きになった。

この『風雲児たち』たちは、明治維新を描くことをテーマにはじまった作品なのだけど、第1巻は関ヶ原の開戦直前のシーンからはじまる。討幕の中心となったのは関ヶ原で敗北した側の薩摩藩と長州藩なので、明治維新を語るには、そこまで遡る必要があるからだ。

みなもと太郎さんは、『風雲児たち』を描きはじめた頃は、5〜6年で終わるだろうと踏んでいたらしい。ただ、マンガを描くために歴史を詳しく調べ出したら、おもしろいエピソードが次々と見つかり、描きたいことが増えていって、気づいたら長い年月が経っていたそうだ。

そして、『風雲児たち』は未完のまま、みなもと太郎さんは亡くなった。

最新刊の「幕末編 34巻」では、坂本龍馬と勝海舟が出会うシーンが描かれていて、いよいよ明治維新の足音が近づいてきたところだ。明治維新を描くをテーマにはじまった『風雲児たち』は、明治維新まで描くことはできなかった。ぼくは、みなもと太郎さんの訃報を聞いた時、いち愛読者として、心の底から残念に思った。

みなもと太郎さん自身が、一番悔しい想いを抱えていただろう。

みなもと太郎さんの担当編集者が書いた追悼文を読むと、療養のため入退院を繰り返す生活を送るなか、『風雲児たち』の連載再開を目指して向き合っていたことがわかる。描きたいことが、沢山あったに違いない。

でも、みなもと太郎さんの訃報から少し時間が経って、未完のまま亡くなるというのは、本当に残念なことなのかと思うようになってきた。

おそらく、みなもと太郎さんのことだから、幕末を描き切ったとしても、明治時代も描きたいと思っただろう。そうして描きたいことが無限に広がっていき、いつまで経っても『風雲児たち』は終わることはなかっただろう。

描き続けることが、みなもと太郎さんにとって生きることだったのだ。

一生を費やしても、完成しきらないものと出会う。

それは、作家として、クリエーターとして、最も幸せな人生の過ごし方だと、ぼくは思う。

思えば、ガウディも1926年に亡くなるまで、その生涯をサグラダ ファミリアにささげた。彼の意思を受け継ぐ何人もの建築家の手によって、ガウディが残した資料を基に、現在も建設が続いている。

ぼくも、『風雲児たち』を引き継ぐようなマンガを作り出したいと思っている。そう考える人は、ぼくだけではないだろう。『風雲児たち』はサグラダ ファミリアのような作品と言っていい。

完成してないからこそ、それを受け継ぎたいと思う人が現れ、意志が紡がれていく。それが時代を越えるということだ。

未完、道半ば、志半ば。

これまで、こういった単語にネガティブなイメージをもっていたが、みなもと太郎さんと『風雲児たち』について考えることで、思考が更新された。


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