「誰にも敵などいないんだ」とてつもなく深い愛の物語 『ヴィンランド・サガ』

もしも、アメリカのドラマのプロデューサーが、僕の元にやってきて、
「1回だけチャンスをあげる。日本のマンガをアメリカで実写ドラマ化するとしたら、何を選ぶ?」と言われたら、僕は何を挙げるだろう?
(ちなみにアメリカのドラマは、予算が縮小傾向にある日本のドラマとは違って、ハリウッド映画以上の予算で制作されていて、映像制作の才能は映画からドラマに移行している)

迷いに迷う。でも迷った後に、僕は、幸村誠の『ヴィンランド・サガ』と堂々と言うだろう。

『ヴィンランド・サガ』第1話はこちらで試し読みいただけます

『ヴィンランド・サガ』は、日本のエンターテイメントを代表する作品だ。
物語の構成力の巧みさ、キャラクターの魅力、世界観の壮大さ、どの部分をとっても、ハリウッドの才能に負けていない。いや、ハリウッドの超一流のその上をいっている。

世界中で流行っている海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』と比べても、『ヴィンランド・サガ』のほうが、圧倒的におすすめだ。

では、『ヴィンランド・サガ』は、どんな物語か?
舞台は、11世紀初頭の北ヨーロッパ。そこで活躍するヴィキングたちの叙事詩だ。

実はこの作品、すごく壮大な作品で、最新の14巻でもまだ物語の入り口かもしれない。
無力な存在のトルフィンと、権力を握った王・クヌート。同世代の対照的な二人が、全く違ったアプローチで、この世に「楽園」を作ろうとする物語であることが、14巻でやっとわかる。

『ヴィンランド・サガ』の魅力は、様々な切り口で語ることができる。
それだけの奥行きを持った作品で、男たちのかっこいい生き様のシーンを挙げていくだけもキリがない。

でも僕は、この作品を「愛」という切り口で語りたい。
キリスト教が広まっていく様子を物語の細部で描いていて、そのことでこの作品を、他とは一線を画す名作になっている。

4巻に出てくるキリスト教の修道士は、兵士たちとこんな会話を交わす。

“「女に興味がないのか?」
「私の求めているものに比べれば、金銀も美女もつまらない物だといことです。」
「ぜひ教えてくれ、一体、そりゃア何なんだ?」
「愛です」

<中略>

「銀でいうと何ポンドのものだ?」
「銀では測れません。銀に価値を与えるのも愛だからです。
愛が全てに価値を与えるのです。
愛なくしては、金も銀も馬も美女も、全てが無価値だ」”

男たちは、自分の身、家族、国を守るために、力を手に入れようとする。暴力に対抗できるのは、暴力しかない。

しかし、本当に強い男だけが、違う道を模索することができる。

トルフィンの父、最強の戦士・トールズは、幼きトルフィンに、このような言葉を残す。

“「よく聞け、トルフィン
お前に敵などいない。誰にも敵などいないんだ。
傷つけてよい者など、どこにもいない」”

自分に向かってくる暴力に対抗し生き抜こうとするトルフィンには、この言葉を理解することができない。しかし、たくさんの苦しみを乗り越え、強くなっていく過程で、トルフィンは、ちょっとずつこの言葉の持つ意味を理解し、実践できるようになっていく。

僕はここで、10巻と14巻に出てくる、トルフィンの印象的で感動的な言葉を引用しようと思っていた。

しかし、一度、書いてみて消した。

とても素敵なその台詞は、マンガの中で読まないと伝わらない。最高の台詞のパワーを、引用によって弱めてしまうのは申し訳ない。マンガの中でしか伝わらない、すごい描き方を幸村誠はしている。

暴力表現に全く躊躇がなく、過激な描写が多い作品だが、作品の持つメッセージは暴力からはほど遠い。

『ヴィンランド・サガ』ほど、愛とは何か、強さとは何かを考えさせられる作品はない。
幸村誠は、いつまでも争いが絶えない世の中に向かって、ペンで戦っている最強の戦士だと僕は感じる。

僕は小説家の遠藤周作が好きなのだが、幸村誠の描く「愛」は、遠藤周作に通じるところがあるように思う。

あわせて『死海のほとり』を読むと、より楽しめるだろう。

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佐渡島庸平(コルク代表)
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