和を以て貴しと為す
僕は、自分の心を知ることにすごく興味がある。
だから、自分のことを把握している人に会うと、なんとなく分かる。そして、その人は、どんな風に思考しているのか、どんな生活習慣を持っているのか、どのようにして自分を理解するようになっていったのか、ということをその人に質問したくなる。
自分の心と対話している人は、僕がするような質問をいつも自分にしているので、質問を怖がらずに答える。そうでない人は、僕と会話すると、面接みたいだという。
最近、自分の心をよく知っている人と知り合った。そして、質問攻めにした。
その時に聞いた言葉が、この2週間ほどずっと僕の心を捉えている。
「『和を以て貴しと為す』という言葉の意味が、やっとわかってきた。みんな仲良くということではない。自分の心の中と世間の間で、バランスが取れているという意味だと考えるようになってから、この言葉の奥深さがわかるようになった。そして、仏教の如是我聞とつながった。すべては自分がどう受けとめるか。自分の心の問題ということ」
自分の心と世間の間で、バランスが取れている状況。それは、すごくシンプルなことで、誰も意識しないのだけど、実はすごく難しいこと。
自分を大きく見積もりすぎてしまったり、逆に小さく見積もって、世間を大きく捉えすぎたり。そのバランスが取れている時だけ、人は正しい選択をできる。
僕の名前の庸平は、中庸からきている。子供の時は、バランスを取ることを理想にするなんて、すごく守りめの名前だと感じていた。しかし、年をとればとるほど、バランスを取り続けることの難しさを実感し、僕自身が理想とすることと名前が一致していると考えるようになってきた。
今回のブログは、僕の心の中では、かなり大きな刺激を受けたことを書こうとしたのだけど、書きながら、それを人に伝えれるようには理解できていないということがわかった。
何度も書きながら、この言葉では伝わらないなと思って、書き方を変えてみたのだけど、なかなか変わらない。僕の中でも、まだわかったようなわからないような概念のままなのだろう。
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