作家の"本心"に迫る読書とは?
先週、平野啓一郎の『本心』が発売開始した。
ぼくは、平野啓一郎という作家の才能を多くの人に届ける編集者であると同時に、平野啓一郎の愛読者でもある。
作品が発表される前に、編集者は原稿を繰り返し読み込むが、読者として楽しむことはできない。「どうすれば、作品がもっとよくなるか?」という編集者視点で原稿とひたすら向き合う。でも、本が出版された後は、もう作家へ提案できることはなく、プロモーションを考えることが中心になる。その段階で、ようやく読者として初めて純粋に作品と接することができる。
編集者として、これまで『本心』は何度も読み返してきた。そして、読者として改めて読んだ。
傑作だ。平野啓一郎と同時代に生まれたことを、幸せだと思う。(先日、哲学者の苫野さんと会話をしていたら、全く同じように感じていて、同志を見つけた嬉しさがあった)
ぼくにとって、読書とは、作者との対話だ。
「なぜ作者は、この作品を書いたのか?」と作者の思考を推測したり、「この主題に辿り着いたのは、なぜか?」と、作者の過去作と読み比べながら、作品ごとのテーマの変遷を読み解くのが好きだ。
今回の『本心』では、題名どおり「本心とは何か」が主題だ。
人は、愛する人の本心を知りたいと思う。だが、本心なんてものは存在するのか。本心を知らないと、その愛は偽りなのか。そんな問いが描かれる。
先週のnoteにも書いたが、これまで平野さんは、「愛するとは何か」という問いへの思考を、物語で深めてきた。分人主義も、その思考を深める中で構築された思想だ。
平野さんが、「本心」という概念に、いつから興味を持つようになったのか? ふと思いついて、Kindleのキーワード検索を使い、平野さんの過去作品で「本心」という単語の登場回数を調べてみた。
『本心』40回
『ある男』7回
『マチネの終わりに』8回
『かたちだけの愛』3回
『決壊』10回
『一月物語』0回
『日蝕』0回
『決壊』は、崇という主人公の本心が、崇自身も彼を取り巻く世間もわからず、すれ違った末に決壊を迎えてしまう物語だ。『決壊』の時は他者との関係、『本心』では愛する人との関係と、「本心とは何か」という主題が深まっていっている。
『決壊』ごろから、思考されはじめた「本心」という概念が、分人主義を通じて理解が深まり、『本心』で平野啓一郎としての解に辿り着いたと言えるのではないか。
平野啓一郎ほどの創作者が文章を書くときに、なんとなくで言葉を選ぶことはない。単語の使用頻度を分析していくことで、作家が何を思考しているか、より深く理解できるようになるかもしれない。
思いつきで調べたが、こういうデータが、Kindleだと簡単に調べられる。紙の本で同じ作業をしようと思うと気が遠くなるが、Kindleならあっという間だった。
テキストマイニングの技術は進化を続けているが、単語レベルの分析をすることで、「次回作、こういう概念が主題になるのでは?」とデータから提案できるようになる時代がくるように思った。編集者が、作品を読んで、そこから感じたことで主題を探すよりも、ずっとうまく無意識の興味を炙り出せそうな気がする。
また、平野さんは『本心』の執筆と並行して、三島由紀夫論の執筆も行なっている。
2020年は三島由紀夫の没後50年であり、三島の享年と同じ45歳を平野さんが迎える年でもあった。自身の文学の出発点となった三島について考えることは、これから小説家として自分がどうありたいかを考えることでもあり、三島論の執筆は平野さんにとって大きな意味を持っている。
なので、三島由紀夫について考えながら、『本心』を読み解いていくのも、非常に面白い。
先日、平野さんが解説する『金閣寺』のムック本が発売された。
実は、『金閣寺』の主題は、「生きる」だ。現実と理想に引き裂かれた主人公がは、「生きる」ために金閣寺に放火する。決して、自暴自棄になったわけではない。
『本心』も、世の中に馴染めず、社会から疎外されていると感じている主人公が、どうやって生きていくかを考えていく物語だ。作中には「僕は生きる」という主人公の言葉が登場する。その部分に描くときに、平野さんの頭の中には、金閣寺の主人公がきっといた。金閣寺の主人公の「生きる」と平野さんの描く「生きる」はどう違うのか。
その差を描くことが、『決壊』以降の平野さんの大きなテーマになっていて、『本心』は、かなり真正面から、そのテーマに取り組んでいる。
平野さんは、一人称告白体をとることで、作品の中に作家の本心が入れやすくなると指摘している。そして、『仮面の告白』と『金閣寺』は、一人称告白体で描かれていて、三島の本心を理解しやすい作品だとも。
『本心』も、一人称告白体だ。
果たして、この作品の中には、平野啓一郎のどんな本心が隠されていたのだろうか。
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