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現在しか存在しない

 現在しか存在しない。過去も未来も全部、フィクションでしかない。

 アドラー心理学を学ぶ中で、そのような思考法を身につけた。もう起業して5年以上が経つが、まだ「講談社をなぜやめたのですか?」と聞かれることがある。その時に、僕は絶対に同じ答えをしない。その日のその時の気分で答える。自分でも何を答えるのかをその時まで知らない。インタビューが終わった後、なぜ自分はそのような受け答えをしたのか。今の自分の感情の何を反映しているのかと思考する。

 人は、現在だけを生きている。この思考が、子育てをしていると、どんどん確信めいていく。僕は実は、子育てについての連載をしていて、そこに何を書こうかと考えながら、子供を観察している。そうすると、過去の意味が、いとも簡単に崩れ去っていく。過去は、現在から光を当てられる。現在の場所によって、光の当たり方は変わってしまう。

 子供と同じ時間を過ごす。僕から見えている世界は、僕も妻も、3人の息子を公平に接しようと努力をする状態だ。家族で出かけて、みんなで楽しく過ごす。しかし、家に帰る途中で、次男、三男が、先に疲れて、車の中で寝る。僕と妻は、次男と三男を抱きかかえ、長男だけには、起きてもらって、自分で歩いてもらう。すると、長男は寂しさを感じる。楽しかったさっきまでの時間の中に、自分だけかまってもらえない事実を見つけ出し、愛していないから、自分だけずーっとかまわれないのだ、という考えになっていく。過去は、現在の感情を補強する道具としてだけ使われる。

 人が何か、過去の話をする時、しているのは過去の話ではない。過去という鏡に反射させて、現在の感情の何かを、現在に伝えようとしているのだ。過去は、現在を語るための、道具にしかすぎない。

 過去の情報は膨大にある。その膨大すぎる情報は、常に編集され、記憶として貯蔵され、ストーリーとして語られる。未来は、その延長にあるストーリーとして語られるだけだ。

 僕は、編集者として、過去の情報をどのように編集し、未来のイメージをどのように編集するかを、考えている。過去と未来を編集していくことで、現在の自分を変えていき、成長させることができるのではないか。いや、思いきったことをいうと、人を成長させるのは、過去と未来についての、繰り返しの語り直しだけではないか。

 今回の文章は、『君たちはどう生きるか』がヒットして、たくさんのインタビューを受けている羽賀翔一へメッセージでもある。伝わったかな?

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