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悲しみとは何か。悲嘆を抱える人に、どう寄り添うべきなのか?

時代を超えて残り続けているものの一つに「宗教」がある。

現代を生きる僕たちにとって、宗教はあまり身近なものではないけれど、苦しいときに何かにすがりたくなったり、心の支えが欲しくなる気持ちは変わらない。

人はどのように「悲しみ」や「喪失」と共に生きてきたのだろうか

コルクラボで、宗教学者であり、「グリーフケア(悲嘆ケア)」研究の第一人者である上智大学教授の島薗進さんと対談をした。

編集者として「感情」について考える僕にとっては学びになることが多く、そのダイジェストをコルクラボのライター部のメンバーがまとめてくれたので共有します。

<ライター:代 麻理子(コルクラボ)/執筆協力:宮川典子(コルクラボ)>

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島薗 進さん

1948年、東京生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科教授(宗教学)などを経て、現在、上智大学教授。グリーフケア研究所所長。東京大学名誉教授。専門は宗教学、日本宗教史。著書に、『宗教・いのち・国家』『宗教ってなんだろう?』『宗教を物語でほどく』『いのちを“つくって”もいいですか?』『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』など多数。

                           ***

「弱さ」の拠り所先の変遷

図3

佐渡島:
先生は、宗教学をご専門とされてきて、現在はグリーフケアについて研究されていますね。先生が、グリーフケアを研究されようと思ったきっかけは、なんだったのでしょうか?

島薗さん:
私は、40年あまり宗教学を研究してきましたが、私自身は何教でもありません。父が精神科医だったこともあり、医学部進学課程に入学したのですが、「科学が人を幸せにする」との考えにどこか疑問が残り、文学部宗教学科に転科しました。

1960年代後半という当時の時代背景もあると思いますが、「心のよりどころがないのは危ないことではないか?」と感じたことも影響しているかもしれません。

日本人が自分たちではじめた宗教を研究したら、宗教そのものが理解できるのではないかと思い、19世紀に岡山県で農民がはじめた金光教(こんこうきょう)という宗教を研究していました。

佐渡島:
実際に研究されてみて、いかがでしたか?

島薗さん:
宗教は人にとって必要な存在であるとは理解したけれど、どこか信じられない。そんな思いでした。ですが、そういう人は私だけではなく、日本全体で増えていました。

1950年代〜70年代までは、「辛いときの心の支え」を宗教に求める人が多かったのですが、70年代からはヨガやヒーリングといった精神世界が台頭します。そして、90年代にバブルがはじけ、「弱さを分かち合うことが大切」という動きに変わってきました。

そこから次第に、分かち合うためにどこかに所属するのは重たいと感じる人が増えて、「個」が重んじられるような流れになります。それに伴い、人の結合は弱く、ネットワーク的になりました。

しかし、人間は社会的な生き物です。そのため、あまりにも「個」になり過ぎると辛い。人々が一体となってサッカー観戦を楽しむのは、共同感情を味わいたいとの思いなのかもしれません。現代は「個」からの寄り戻し的な流れがおこっていると感じています。


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悲しみとは何か。悲嘆を抱える人に、どう寄り添うべきなのか?

佐渡島庸平(コルク代表)

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コルク代表・佐渡島のnoteアカウントです。noteマガジン『コルク佐渡島の好きのおすそ分け』、noteサークル『コルク佐渡島の文学を語ろう』をやってます。編集者・経営者として感じる日々の気づきや、文学作品の味わい方などを記事にしています。

コメント1件

島薗先生と佐渡島さん!尊敬する大好きなお二人の対談で、嬉しい気持ちになりました。グリーフケアは、死に関することだけではないんですね。日常の中でも生じる悲しみや寂しさに対しても、やさしいまなざしを向けていく大切さを感じました。
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