小説が、今の時代にできること(平野啓一郎の新作をめぐって)
変化に合わせて、自分のやっていることの意味の問い直し(アップデート)が迫られている時代だ。
「本の出版がやりたいことか?」と問いかけ、「物語を世に届けること」だと気づいた。それで、僕は仕事をアップデートするために、クリエーターのエージェント業を始めた。現代アーティストやミュージシャンとは契約しないのか、とよく質問されるのだけど、物語を生み出せるということに重点を置いている。
平野啓一郎も、小説家という自分の職業に対して、自問自答を繰り返している。この前、こんなツイートをした。
なぜ、小説を書き続けているのか。どうして、自分は小説から離れることができないのか。小説を書くという行為を漫然と続けていない。平野啓一郎の小説は、アップデートされていて、今の時代に読むのにふさわしいものになっている。
小説にしかできないことは何か?
今、世の中では、共感という言葉が、バズワードになって誰もが使っている。そして、世の中には、共感が溢れている。
しかし、その共感、軽くないか? 人間の心は、そんなにシンプルに共感できる感情ばかりだろうか?
「言葉にできない思いを共感できる誰かをみんな探している」。そして、小説の主人公がその誰かになるように作り上げなければいけない。という話を平野さんとした。
それで、自分が中学生の時に、太宰治を好きになったことを思い出した。まさに、うまく言葉にできない感情を太宰治は描いていて、「ここに僕がいる」太宰治だけは、僕の気持ちをわかってくれる。僕は誰かとつながれる。そんな風に思ったのだった。そして、それは僕が特別だった訳ではなく、誰もが太宰治の小説に対して、そのように思う。それが、まさに小説の力だ。
平野啓一郎の新作『ある男』は、40代前半の弁護士・城戸が主人公だ。城戸は、職業、家庭と人が羨むものを手に入れた。しかし、自分を幸せと言い張ることはできない。彼は、「ある男」の存在を知り、その男の人生を追いかける中で、自分なりの生き方を見つけていく。
いわゆるミッドライフクライシス文学と言えるかもしれない。しかし、寿命が伸びていき、今までのミッドライフクライシス文学は、もはや、40代の言葉にできない感情の共感を誘うことができない。
平野さんが「ある男」で描いている感情は、30代、40代、50代が、わかる!といって深く共感するものになったと思う。僕はまだうまく言語化できていないのだけど、あと2年ほどで40歳になって、城戸が悩んだように自分の人生を振りかえるかもしれない。その時に、城戸がたどりついた答えは、僕の人生に役立つ気がする。
『空白を満たしなさい』の分人主義が、僕の30代をすごく支えてくれたように。
そして、『ある男』は、嘘の人生を生きたある男の足跡を追う城戸の物語であると同時に、フィクション論でもある。
ある男も、城戸も、フィクションを語る。同じように、平野啓一郎も小説をつくる。すべてが入れ子構造になっている。小説家として20周年を迎えた平野啓一郎が小説について語った小説としても読めるのだ。
ぜひ、「序」を読んでほしい。僕はこの序文のうつくしさで平野啓一郎の才能のすごさを再確認にした。
平野啓一郎のメルマガを登録すると、無料で最終話まで読むことができる。すこし遅れての掲載になるが、noteで読むこともできる。
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