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編集者の武器は言葉しかない(『読書という荒野』)

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 見城徹と僕は似ているだろうか?

 多くの人は「編集者というところ以外は似ていないよ」と答えるのではないか。箕輪さんと僕の方が似ていると思う人の方が多いかもしれない。

 でも僕は、見城さんの本を読みながら、これはまるで自分が書いた文章のようだと感じた。産まれる時代がずれていたら、見城徹に嫉妬していただろう。心の奥底が似ている。

 箕輪さんと僕は、行動で似ているところがあっても、心の奥底は似てないと感じる。まだまだ駆け出しの僕が、見城さんと似ていると自分で主張するなんて、すごく傲慢だとわかりつつも、何度も似てると感じながら『読書という荒野』を読み進めた。

 多くの人と分かり合えないと感じて、動物と話し合える『ドリトル先生』を子供時代に愛読したというところにはじめに共感した。その後、見城さんは、高橋和巳の『邪宗門』にはまたっという。僕は同じ時期に遠藤周作の『沈黙』にはまった。自分の心を救うものを求めて、宗教に興味を持った時期が同じというのも僕ははっとした。

 僕は読書を情報を得るためにしたいとはほとんど思わない。現実逃避の手段とも思わない。自分の心を知り、向き合う行為として読書がある。『読書という荒野』というタイトルから、僕と似ていると感じた。

 今までの見城さんの本『編集者という病』『たった一人の熱狂』は、見城徹という編集者を知るために読んでいた。でも今回は、自分と似ているだろうかと問いかけながら読んだ。

 公文という教育関係の本が最初のヒットというのも、僕は『ドラゴン桜』が最初で、共通している。

生徒の親に買ってもらうというのは、コネを利用することであり、別の言葉でいえば、癒着だ。僕は常々、「癒着はベストセラーの条件だ」と言っている。


 『ドラゴン桜』は、教育業界の人たちが、「この本は漫画だけど勉強になる」と推薦してくれたことで売れていった。

 雑誌とは、読者と作家が癒着するための仕組みだった。それが崩壊しようとしていて、別の癒着が必要だと考え、僕は「コミュニティ」というキーワードを出している。癒着とコミュニティ、実は同じことを主張している。 

  僕は講演会などで、資料を用意することがない。いつも、言葉だけ勝負する。それは、見城さんの下記の言葉と全く同じプライドを持っているからだ。

編集者の武器は言葉しかない。もちろん作家を口説くために、相手のことを徹底的に調べるとか、全作品を読み込むとか、いろいろな努力の仕方はあると思う。しかし手紙を書くにしても、会って何かを言うにしても、最終的な武器は言葉だけだ

 さらに、高校時代、大学時代の夢も一緒で、その夢の諦め方も一緒だ。

実をいうと、僕自身にも作家になりたいという気持ちがあり、高校から大学にかけて小説のようなものを書いていた。しかし、すでに作家として活躍している彼らと一緒にいると、自分には才能もないし、彼らのように「書かずには救われない」という強烈な情念がないことを思い知らされた。彼らが本物だとしたら、自分は偽物だ。だったら自分は、文芸編集者として彼らをアシストし、プロデュースして、世間に広く流通させる仕事がしたい。そう思うようになった。 

 僕も、井上雄彦、安野モヨコ、三田紀房、山下和美、小山宙哉、ツジトモ、平野啓一郎と接しているうちに、編集者、エージェントが自分の天職だと思うようになっていった。

 もう一つ、すごく重なるイベントがある。

僕が幻冬舎を設立したばかりのとき、四谷の雑居ビルの一室に、石原さんが突然現れたことがある。そこには社員が五人くらいいた。石原さんは彼らに向かって、「みなさん、まだ拙い社長だろうけれども、見城をよろしくお願いします」と言ったあと、僕のほうに振り返り、「もしも俺がまだお前の役に立つんだったら、何でもやるぞ」と笑顔を向けてくれたのである。

 コルクを創業してすぐの頃、原宿のマンションの一室をオフィスとしているコルクに三田紀房が来てくれた。その時、三田さんは、何も言わなかった。後日、三田さんから急に連絡がきて、「ネタが思いついた。どうだ?」と言われた。それが『インベスターZ』だった。

 オフィスを見て、僕をもっと立派なオフィスに連れていってやると思ってくれた、と後日、食事の時に話してくれた。三田さんは、僕を編集者として一から育てくれて、そしてコルクの基礎を作ってくれたのだ。

 僕らは作家のためになろうとする。そして、作家も僕らのためになろうとしてくる。この互助の気持ちで、互いに切磋琢磨していく。これが、作家と編集者の理想的な関係なんだと思う。

 編集者とはどんな仕事なのか。見城さんはこんな風に説明する。

相手の胸の中にグッと手を突っ込んで、本人が一番隠したいと思っているものを白日のもとにさらけ出させる必要がある。

 僕が考える編集者像と完全に一致している。最近、いろんな漫画家にこんな風に「さらけださせ屋」として、いじられているくらいだ。

 『読書という荒野』の読書体験は、僕にとって、他者の精神に触れる行為というよりも、内省に近いものだった。




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