歴史からこぼれ落ちる感情を、文学が拾い上げる
歴史を動かすのは、感情と技術革新が両輪だ。技術革新だけでも、歴史は変わらないし、感情だけも変わらない。それがセットになった時、歴史が動く。
しかし、歴史の教科書で、感情の変化は語られない。歴史の教科書には、人と出来事が載る。感情がこぼれ落ちる。
だから、歴史の教科書を読んでいても、なぜそのような変化が起きたのか、釈然としなくて理解できない。僕らの感情が生み出している「時代の空気感」は歴史の教科書から漏れてしまう。
なぜ、第二次世界大戦が起きたのか。満州を欲しがるなんて、当時の日本人は、今の僕らよりも強欲だった? 歴史的出来事は、利害関係で説明しようとするが、それだけだと説明できないことがたくさんある。
関東大震災やスペイン風邪の流行は、当時の人々の死生観にどのような影響を与えたのだろう? その時の死生観の変化は、そのあとの日本が下す様々な決断に関係していなかったのか?
今回、コロナで人々の感情がどのように変化していくのか。そのことを知りたいと思い、スペイン風邪が流行した後のことを調べようと思った。でも、うまく見つけることができなかった。
それで、当たり前のことに気づいた。
感情の変化は、忘れ去られていく。「文学」は、それを拾い上げていくから、僕は好きなのだ。
先日、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』の読書会をした。僕が、この本を繰り返し読むのは、そこでは、戦場の空気感があるからだ。
ベトナム戦争がどんなものだったのか?どんな人の思惑があり、どんな戦いがあったのかは、Wikipediaを読めば知れる。でも、どれだけWikipediaを読んでも、僕たちは戦争を理解できない。
戦争から帰ってきて、苦しんでいる人がなぜ、苦しみ続けているかを理解できない。
小説を通じて、わずかに理解できる。僕は、僕がいなかった時代の空気を知り、人の行動の意味を理解したくて、小説を読むのだ。
『本当の戦争の話をしよう』で、こんな一節がある。
多くの場合、本当の戦争の話というのものは信じてもらえっこない。すんなりと信じられるような話を聞いたら、眉に唾をつけたほうがいい。真実というのはそういうものなのだ。往々にして馬鹿みたいな話が真実であり、まともな話が嘘である。何故なら本当に信じがたいほどの狂気を信じさせるにはまともな話というものが必要であるからだ。
ある場合には君は本当の戦争の話を口にすることさえできない。それは時としてあらゆる言葉を超えたものであるからだ。
このあらゆる言葉を超えたものを、物語として伝えるのが「作家」なのだ。
作家は、物語を語る人と思われることが多い。しかし、作家の才能で重要なのは、時代の空気、人々の感情を感じ取り、受け取ることだ。それを受け取った後に、別の時代に人にも生々しく伝える技術が必要とされる。
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