
つまらないのは、対象ではなく、自分自身だ
この木を見て、あなたは何を思うだろう?
僕は、何を思わずに通り過ぎた。その時、僕は、明治神宮の宮司さんと一緒にいた。宮司さんがぽろっと言った。
「木が生えている時は、幹から緑は生まれない。ですが、切り倒されると、このように緑が芽生えてくる。本当に不思議ですよね」
その言葉を聞いて、急に今まではただの切り株だったが、生命の象徴のように感じた。
『インベスターZ』で、面白くない映画の途中で、映画館の席を立てるかどうかで、主人公財前の投資家としての資質を見定めるシーンがある。損切りできるかどうか。「ここまでの時間とお金を使ったのにもったいない」と考え、惰性でつまらない映画を続けてしまう人は投資には向かないことを伝えるエピソードだ。
自分の価値観が明確で、自分が良いと感じるものだけに自分の全ての時間を集中して費やしていく姿は、カッコいい。
同時に、つまらないものの中に、面白さを見つけられる人もカッコいい。いや、こちらの方が、よりカッコいいと僕は思う。
大人になると、自分の価値観が定まってくる。お金や社会的地位を使って、自分の期待通りに物事を動かしたいと思う。身も蓋もない言い方をすると、大人は、自分に都合がいいものをいいものを好きだと思う。
子育てをしていると、子供は思った通りに動いてくれない。不都合なことばかりだ。でも、その子供を愛おしいと思う。一見、全く魅力的でない出来事、オムツを変えるとかも過ぎ去ってしまうと、貴重な経験になる。
つまらないものを、つまらなくしているのは、対象ではなく、自分なのだ。刺激が強いものから、面白さを得ることは誰でもできる。刺激が弱いものの中から、面白いもの、愛おしいものを見つけるのは、観察力がいる。
新人マンガ家と新作を作ることにずっと時間をかけている。マンガ家には、誰もを一瞬で魅了する奇抜なアイディアを考えてほしいとは思ってない。そんなものは、他の作品もすぐに真似て、10年後にはそのアイディアを思いついた人のことなど誰も覚えていない。
マンガ家の才能とは、誰もが見逃す、些細なことの魅力を、誰でも気づけるくらいわかりやすく伝えることだと僕は思っている。
誰もがつまらないと思って、平気で捨ててしまうもののなから、宝物を見つけ出す。それが作家なのだ。
今週も最後まで読んでくれて、ありがとう!
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