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「得意」という落とし穴

 編集者の重要な仕事は、作家の才能を「引き出す」ことだ、と僕は思っている。どうストーリーを変えればいいのか答えを提案するのではなく、より面白いアイディアが作家の心の中から出てくるように、作家が自省するためのきっかけとなる鏡のような存在。

 僕が努めていることは、正直になること。とにかく、正直に感じたことを、正確な言葉で言う。

 僕は幸運なことに、自分の編集術をメディアで語る機会をたくさんいただいた。それで、多くの人が、フムフムと聞いてくれる。僕は、自分は編集が、人の能力を引き出すのが、得意なのだと思っていた。

 最近、その考え方を改めている。僕は僕と相性のいい作家の才能を引き出すのがうまいだけだった、と。講談社のサラリーマン時代、付き合う作家は、限定されていた。作品を読んで大好きな作家とだけ仕事をしていた。自分の力を発揮しやすい人だけを、無意識に選んで仕事をしていたと言える。

 コルクを経営しだして、社員の才能を引き出そうとしても、うまくいかない。得意なはずなのに。逆に、得意だという気持ちが、僕の眼と意識を曇らせていた。自分の能力が、非常に限定的だということに気づけたのもつい最近だ。一タイプの才能しか対応できないところから、複数タイプの才能に対応できるようになることが、マネージメントを学ぶということなのだと実感し、努力しているところだ。

 それで僕が観たのは『イエスマン “YES”は人生のパスワード』だ。僕はジムキャリーが大好きで、この映画はもう2回は観ていた。今回は3回目だ。何に対してでも「イエス」といって、受容していく男の話。一度、全てを受容することの大切さを深く感じたかったから、観直そうと思ったのだ。

 受容することの大切さを感じた出来事が身近に2回あった。一つは、息子の公文。1回目と2回目に通った教室で、息子が公文を楽しまなかったので、3度目の正直で、地域で評判のいい教室に移転した。そうしたら、公文へ行くのを楽しむように変わって、あれよあれよと言う間に、教材がどんどん進んでいった。初めの先生たちは、間違っているところをしっかり直しながら前に進むタイプだった。3ヶ所目の先生は、できるを意識させて、次へ次へと後押しするタイプだった。週にほんのちょっと会う先生の影響で、ここまで息子の行動が変わるのかと驚いた。

 もう一つ、コルクラボ生が企画した覆面編集者による褒める新人賞だ。ツイッターを眺めていると、褒められた作家たちは、生き生きとしていて、すぐに次回作に挑戦しそうな雰囲気を出していた。

 新人にアドバイスをする時、もっとどうやったら作品がよくなるか、一般的なアドバイスをしてしまう。それだと、なかなか改善した作品がすぐに上がってくることはない。でも、褒められた人たちは、その長所を活かして、再挑戦しようとしていた。

 観察を伴わない褒めからは、相手をコントロールしようという意識が透けてくることがある。深い観察と受容がある褒めは、相手の才能を引き出し、モチベーションをあげる。
ジムキャリーが、イエスしか言わなかったように、僕も褒める言葉しか使わない日々を過ごしてみようと思う。もしも僕が会社で、誓いを守れていない発言をしているのを発見して、その場で指摘してくれたら、社内で売っているお菓子をおごります。笑

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佐渡島庸平(コルク代表)
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