日本の教育は、”自主性”を知らぬ間に潰している?
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日本の教育は、”自主性”を知らぬ間に潰している?

佐渡島庸平(コルク代表)

「学ぶ」とは、何なのか?

いま、多くの人は「学ぶ」とは、知識を体系立てて吸収することだと思ってる。一方、先週のnoteで紹介した『易経』では、知識の習得は「学ぶ」とされていてない。未知の変化への向き合い方を身につけ、自ら行動していく自主性を育んでいくことが、「学ぶ」とされていた。

江戸や明治の知識人の多くは易経を学んでいた。ぼくらは維新の志士たちが、藩校や私塾で学ぶ姿を想像する時に、ぼくらが通った学校のあり方をイメージするが、実際は全く違うものだっただろう。

現代では、多くの時間をかけて教育がなされているが、実は、時間をかけて自主性をつぶしている可能性はないだろうか?知識と引き換えに、自主性が緩やかに奪われていく教育システムになっていないだろうか?

作業を正確に行うだけの仕事はロボットやAIが担い、これからは人間には創造性が求められるようになっていく。創造性の発揮には、ものごとを観察し、自ら仮説を立て、アイデアを試していく自主性が前提となる。

日本の明治以降の学校教育では知識偏重の時代が長く続き、教えられた知識や手順に基づき、正しい答えにいかに早く辿り着くかが求めらてきた。ところが、社会に出た途端に一転して、「自分はどうなりたいか?」「自分は何をやりたいか?」と問われる。

自主性とは、一朝一夕で育まれるものではない。言われたことをしっかり行い、正解を探すことに心血を注いできた人に、「自分で考え、自由に動いていいよ」と伝えても、戸惑いと不安しか生まれない。

学校がどんな雰囲気になるといいのか。かつての寺小屋、私塾の空気を知りたいと思っていたら、小学3年の次男が通っている「きのくに子どもの村学園」の運動会には、その空気があった。

この学校では、自己決定・個性化・体験学習を重視していて、子どもたちが様々なことを自分たちで決めて、体験を通じて学んでいく。以前、「“見守る”と”放置”の違いとは何か。」というnoteにも書いたが、一般的な学校との違いに驚くことが多い。

先日、この学校で開催された運動会に親として足を運んだのだが、そこでの光景も驚くことばかりだった。

一般的に、運動会のプログラムは先生たちが決めて、生徒たちは練習を重ねて、当日を迎える。学年やクラスごとにしっかりと行進をしたり、曲に合わせて体操やダンスをしたりと、子どもたちの練習の成果を見届けるショーのような側面が運動会にはあると思う。

一方、この学校では、運動会で何をやるのかは子どもたちが全て決める。小学校と中学校が合同で運動会を行うため、実行委員会の中心は中学生だが、小学生からも実行委員を募る。うちの息子も実行委員に加わっていた。

そして、事前の練習は一切ない。どうやったら運動会に参加するみんなが、運動会当日を楽しめるかを考えて準備することが、実行委員会の子どもたちの主な仕事なのだ。

当日、運動会に足を運ぶと、仕切りは全て子どもたちで行われていた。会場のアナウンスも全て子どもたちだ。

様々なプログラムが組まれているのだけど、どれもその場で参加者を募る。一般的な運動会では、誰がどの競技に出るかを事前に決めていると思うが、この学校ではそういうことはしない。その時の「やりたい」「面白そう」という気持ちを大切にしているのだ。

だから、どのプログラムも冒頭で説明が入る。子どもたちが、このプログラムはどういうルールなのかを説明し、見本を見せる。

おもしろいのは、プログラムに大人も家族も参加していいところだ。綱引きでは、子ども対大人で対決したり、塩ラーメンが好きなチーム対醤油ラーメンが好きなチームで戦ったりした。対戦するチーム人数がバラバラでも全然よくて、勝敗を競い合うというより、綱引きで遊んでいる感じだ。

当然、蓋を開けてみないわからないことも多いので、拙いところも出てくる。でも、そこも含めて、子どもたちが自然な感じで楽しそうにやっている雰囲気が見ていて楽しい。うまくやっている子供が見たいのではない。親の前で見せない顔をする子供を見たいのだ。

実をいうと、ぼくは子どもたちの学校のイベントに参加するのがあまり好きではない。参加しないと子どもたちが寂しい思いをするだろうと思って、顔は出すのだけど、あまり長居せずに、いつもすぐに帰ってしまっていた。

それはなぜだろうと考えると、大人たちが決めたことに対して、子どもたちが緊張しながら、ミスをしないように取り組む姿があまり好きになれなかったからだ。そういう姿に子どもの成長を感じる親もいると思うけど、ぼくはそうは思えなかった。

この「きのくに子どもの村学園」の運動会は真逆だ。子どもの自主性を重んじていて、大人はそれを邪魔しない。先生たちは、子どもたちを信頼して、見守ることに徹している。

近年、運動会というと、勝ち負けを競うことの是非を問う議論の的になることも多い。個人の順位がはっきりと付けられる競技を減らすことに賛成の意見もあれば、反対の意見もある。でも、どちらも大人の意見であり、子どもたちが運動会をどうしたいかという意志はそこにはない。

こういう風に運動会のあり方について議論することも、先生たちが運動会のプログラムを考えることも、子どもたちのためを思ってやっていることに違いない。でも、結果として、子どもたちの自主性を知らぬ間に潰しているかもしれない。

良かれと思ってやっていたことが、知らぬ間に自主性を潰してしまっていることは、他にも色々とありそうだと感じた。

自分の課題以外には取り組んではいけない。
アドラーの言葉が、また頭の中を木霊した。


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佐渡島庸平(コルク代表)
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