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その罪悪感、本当に必要ですか? 【恥からはじまる「感情」論考 #2】

怒り、喜び、悲しみ、誇り――。
私たちの行動や思考を、無意識のうちに支配する「感情」

誰もが振り回される「感情」とは、そもそも何なのか?
編集者・研究者・マンガ家。
三者三様の視点から、感情の本質を探る!

連載第2回目のテーマは「罪」

・第一回「恥」の記事は、こちら

さて、どんな会話が繰り広げられたのでしょうか!?

<書き手=秋山 美津子、カバーイラスト=羽賀翔一

<登場人物紹介>

佐渡島庸平(Yohei Sadoshima)
コルク代表。新たな才能の発掘やコンテンツ開発に取り組む一方、自らの感性も磨くべく、あらゆる物事をユニークな観点から考察。中でも「感情」は、クリエイターとして大切にしているテーマ。
石川善樹(Yoshiki Ishikawa)
「Wellbeingとは」を追求する、予防医学博士。イベントの対談で佐渡島と意気投合し、以来、友人として刺激を受け合う仲に。「感情を知れば人は幸せになれる」という自説に基づき、自身の感情さえも分析・検証している。
羽賀翔一 (Shoichi Haga)
コルク所属のマンガ家。ベストセラー『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)刊行から数年、新たな作品を描こうと奮闘するもやや迷走中……。現状を打破すべく、担当編集・佐渡島の呼びかけにより本企画に参加。

・・・

「罪」という感情は、ルールがあるから生まれる?

佐渡島:
社会規範的にはルールを破ることが「罪」とされているけれど、僕はルールによって一方的に「自分が悪い」という心境にされてしまうのが、すごくイヤなんだよね。

石川:
いわゆる「みんなが決めたルール」だね。しかもその「みんな」とは昔の人たちで、ただそれが引き継がれているだけのものも多いと思う。「僕たちはそう決めていないよ」というルール。

佐渡島:
だからこの気持ち悪さに慣れようと思って、あえてルールを無視するトレーニングをしたことがある。どんなのかというと、夜、車が絶対に来ないときは赤信号を無視して道路を渡るという(笑)。

でも交番の近くでやると、警察官から「さすがにここは我慢してよ~」とか言われるわけ。その瞬間、やはり僕がすごく悪いことをした心境になってしまって、「ああもう! 俺をこんな気持ちにさせないでくれ!」とモヤモヤする。

車も人もまったくいないし、どう見ても止まる必要がない状況にも拘わらずだよ? 誰にも害を与えていないのに、警察官が見ているだけで「悪いこと」とされるのはおかしくない!?

羽賀:
僕も車が来ないと渡ってしまうことはあるけれど、警察官が見ているときはさすがに無理ですね。

以前、「ピピピッ!」って笛を鳴らしながら注意されたことがあるんです。それ以来、見ているなと感じるときは渡らないようにしてます。

石川:
すっっごくゆっくりと渡ってみたら? 「よく見たら、あいつ少しずつ動いているぞ!?」みたいな(笑)。

佐渡島:
そのほうが挑戦感あるよ(笑)。AKBグループだって、「恋愛禁止」と言っているせいで、ファンにとっても当事者にとっても恋愛が悪いことみたいになっているし。だから恋愛が発覚すると、「ファンを裏切った」なんて責められるわけでしょ。

もしコルクで「給料の一割はコルクが企画した商品の購入に使うこと」なんてルールを作ったら、それを破るだけで悪いような気になるんだよ、きっと。

羽賀:
それで思い出したのが、マンガの原稿ルールですね。スクリーントーンを貼る際、「このくらいまでなら、はみ出してもOK」という自分なりの線引きがあるんですけど、小山宙哉さんの『宇宙兄弟』でアシスタントをしているときに、同じ感覚でやってしまうと注意されます。

すると、すごく申し訳ない気持ちになるんですよ。みんなが細かなルールを守りながら締め切りに向かって頑張っているのに、自分がそれを破ってしまっているので……。

でも、自分の作品では何も感じない(笑)。同じ行為なのに、なんかおもしろいなって。

石川:
宗教は「これをするな」という制約が多いね。たとえばイスラム教の世界では、酒を飲むことがルール違反になる。

佐渡島:
神との約束を破ることは「罪」だからね。コカインだって、合法の国では許されるけれど、違法なら許されない。

僕は、いわゆる「社会のルール」を破っても罪とは思わないけどなあ。ルール違反をして「悪いな」という意識は感じる必要があるけれど、それを罪とする必要があるのかは疑問。

羽賀:
SNSでも、外部の人たちが当事者に向かって「謝罪しろ」なんて償いを押し付けていることがあるけれど、それで謝ったとして、本当に「自分は罪を償えた」と思えるパターンってあるんですかね? ただ受動的に償わされているだけな気がします。

石川:
ルールには、法律のように社会が合意しているルールとマイルールがあって、償いを要求する人たちは、「マイルール」がいっぱいできているんじゃないかな。そして自分が、どんどん神になっていく。

そういえば高校生の頃、駅のホームで突然、知らない男性に「コラーッ! 土足で駅を歩くなー!」って怒鳴られたことがあったな……。「ええっ!?」と思ってその人の足元を見たら、まさかの上履きだった。思わず「すみません!」と謝ったよね(笑)。彼のマイルールではあるけれど、まあ言っていることは正しいなと。

佐渡島:
ルールを破るという行為に対して「罪」という言葉が使われているから、罪を感じないといけないことになっているんだよ。罪の感情と結びつく名詞を当てていることで、コントロールされている感じがする。

これって、社会を管理する側にとっては超ラクな概念の植え付けじゃない? 人をコントロールするのに、罪の意識を使うのは重要なんだな。

ルールと結びつけて「罪」と呼ぶのはずるいと思うけれど、罪の意識には、すべてルールが関係しているのかもしれないね。

石川:
確かに。ルールと罪には関係性があって、「自分にとってのルールとは何か」を考えると、罪の本質も見えやすくなるのかもしれないな。


ただ謝るより、環境のせいにするほうが解決できる

石川:
マイルールとは違うニュアンスとして、自分の中で「こうするんだ」と決めた約束を破ることに対する「罪悪感」もあるよね。

羽賀:
実は僕、「自分でちゃんと健康管理をしよう」と決めてフィットビットを買ったんですけど、最近、寝るときに気になって外してしまうんです。早くも自分との約束を守れていない。

子供の頃は「これをやろう」と決めたことができないと、罪の意識を感じていたけれど、大人になると、それがだんだん鈍くなってきているなと思っています。

佐渡島:
罪悪感に限らず、同じ感情を頻繁に繰り返していると麻痺してくると思うよ。

僕が、「羽賀君がマンガを描けないのは、俺の感謝が足りないからだ。これからはもっと感謝していこう」と考えて、「羽賀君、今日もマンガのこと考えてくれてありがとう!」とか毎日言ってきたらどう?(笑)

そのうち、「どうせ仕事で言っているんだろうな」と思われそう。

羽賀:
うわあ、それはイヤだなあ(笑)。僕も、締め切り守れなくて毎回「すみません」と言っていると、「コイツ、本当に申し訳ないと感じていないな」と思われちゃうのかな。なるべく謝らないほうがいいんですかね……?

佐渡島:
たまに「すみません」って言われると、「あ、今回の締め切りは重要だと捉えていたんだ」ってなるかも。

石川:
戦略的すみわけだ(笑)。

佐渡島:
それに相手への謝罪より、自分が罪の意識から解放されたくて「すみません」と言っている場合もあるからね。だったら罪の意識を抱き続けるほうが、状況は改善するかもしれない。

僕は何か問題があると、まずは環境のせいだと考える。それでよく「屁理屈を言っている」と思われるんだけど(笑)。でも、問題が起きたときに「自分に原因がある」と捉えるのって、実は簡単なことじゃないかな。

確かに、結局は自分しか変えられないけれど、「すみません、頑張ります」という答えで終わらせてしまうのは、限りなく思考停止に近い気がする。

だって、頑張ったのにできなかったわけじゃん。だとしたら、「外部の何を変えたらできるのだろう?」と考えてみる。編集者からのアドバイスを増やすのか、「仕事が多かった」のなら、ほかの仕事を組み直すとか。解決策がいっぱい出てくる。

石川:
「頑張ります」だと、根性論にしかならないよね。

佐渡島:
そう。だから羽賀君も、今度は謝るよりも逆ギレしてみなよ(笑)。「編集者なら、締め切りが過ぎていることを言うんじゃなくて、僕がすぐに描けちゃうようなアドバイスできないですかね~」とかさ。

石川:
「いい編集者とは何か、1回ちゃんと話しませんか?」みたいなね(笑)。


「締め切りなんて遅れて当然」で、脱・罪悪感!?

佐渡島:
ルールと罪との関係性についてもう少し深く考えると、コミュニティごとにもルールがあると思う。コミュニティの中で罪の意識が規定されるから、変化するのが難しくなるだろうなあ。

僕自身は、講談社にいながら大きな変化は起こり得なかった。

石川:
コルクを立ち上げたときは、ルールとかどうしたの?

佐渡島:
会社の中にルールがなくて、「みんな好きにやればいいじゃん」という感じ。そもそも僕が自由になりたい思いが強かったから。既存のルールを壊すというよりも、そこから出たかった。

新しいルールを作るのと、ルールを入れ替えるのってちょっと違うよね。

石川:
新たなルールを増やして、より質の良いものにしていくのが「アップグレード」で、既存のルールを壊していくのが「アップデート」じゃない?

俳諧でも、和歌の時代は季語を必要としていたけれど、庶民が楽しむようになって、「季語なんてなくてもよくない?」と無季俳句が生まれた。これはアップデートだね。

佐渡島:
なるほど。起業するときって初期はアップデートだけど、ある程度育ってくるとルールを決めないとだから、アップグレードが行われるんだな。

石川:
アップデートする人は、ルールを破ったり壊したりして新しくしていくわけだから、罪悪感を抱いているかもしれないね。本人はそう思っていなくても、そこに付いていく人たちとか。

佐渡島:
正義感の場合もあるよ。むしろ今までのルールのほうが罪で、「壊すべき」だと考えている人たちだったらね。

古い産業をつぶすのって、今までの人たちに「無価値」と言っているような罪悪感があって、でも同時に「社会を更新するんだ」という正義感も味わえる。

羽賀:
ふと思ったんですけど、「罪悪感」と「背徳感」って違う感情なんですかね?

佐渡島:
背徳感は、社会のモラルに反していることじゃない? そしてそれを心のどこかで喜んでいる。不倫とか。

石川:
「背徳感」って字がいいよね。「徳」に対して背を向けている感じ(笑)。道徳に反していますよ、これは。

佐渡島:
あとは、ルールをちょっと破っているというよりは、過剰に破っている状態かな。

ダイエットしているときに、少しのカロリーオーバーだと罪悪感だけれど、すっごいオーバーしたらもう背徳感。カロリーゼロ飲料は罪悪感を消してくれるし、逆に揚げ物なんかは背徳感を抱きそう。

とすると、「罪悪感/背徳感/正義感」は近い感情なの? 同じ事象に対して、3つの感情を抱く可能性があるということだよ。すごくない?

石川:
倫理の三角構造だ!「ジレンマ」はAかBのどちらかだけど、この場合は3つだから「トリレンマ」。なので「倫理のトリレンマ」と呼ぶことにしよう。

佐渡島:
ちょっとした発見だね。僕は、ルールの真意を見直すようになってから、罪悪感を抱かなくなったなあ。すっごく考えると、感情もコントロールできるようになってくると思う。

羽賀君、今回の考察で少なくとも締め切りに対しては、罪悪感を抱かなくなっているかもよ?

羽賀:
「俺はマンガを作っているんだ! 良いものを世に送り出すという正義感でやっているんだ!」と(笑)。

石川:
編集者にも、「締め切りなんて遅れて当たり前だろう。誰と仕事していると思っているんだ?」と!

佐渡島:
そうそう。「ほかのマンガ家は必死に締め切りを守ろうとしているのに、俺は堂々と締め切りを破る!」という背徳感も一緒にさ。いいねえ、背徳感を味わいながら締め切り破るの(笑)。

<第三回に続く>

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