理想とする創作のあり方を、体現してくれた作品
「物語の力で、一人一人の世界を変える。」
この言葉をコルクではミッションとして掲げているが、その背景には、ぼくが『モーニング』編集部で経験してきたことが深く影響している。
モーニングでは、作品づくりの指針が明確に示されていた。それは、「読むと元気になる」だ。『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』の企画を立てるときも、この指針を強く意識していた。
実際、読者からの感想も「挑戦する勇気が湧きました」といった旨の言葉をもらうことが多い。そして、そうした言葉に背中を押されるようにして、「もっといい作品を届けたい」という意欲が自然と高まっていった。
だからこそ、ぼくにとって物語を創作する行為の根底には、読み手にポジティブな影響を与えたいという強い思いがある。
自分の置かれた状況を不当だと感じている人が、登場人物たちの物語を追体験することで、新しい視点を得る。考え方が変わり、やるべきことが見えてくる。このように、読者の世界観を前向きに揺さぶること。これこそが、「物語の力」だとぼくは信じている。
そして、物語の力の可能性を信じるぼくにとって、理想とする創作のあり方を体現したような作品に出会った。
Netflixで配信されているドキュメンタリー映画『イベリン: 彼が生きた証』という作品だ。
この作品は、幼い頃に「デュシェンヌ型筋ジストロフィー」という難病を診断され、25歳で短い生涯を閉じたノルウェーの青年、マッツ・スティーンを描いたドキュメンタリーだ。
難病を抱えたマッツは、成長とともに筋力が低下し、車椅子生活を余儀なくされた。体を自由に動かせる範囲は徐々に狭まり、自室で過ごす時間が増えていく。やがて彼は、ハンディキャップが影響しないオンラインゲームの世界に没頭し、亡くなる直前まで何万時間ものプレイを続けていた。
家族、とりわけ両親にとって、彼の死は深い悲しみを伴うものだった。両親は、「障がいのある体で産んでしまい申し訳なかった」「彼の人生には恋も友情もなかった」という後悔の念に押しつぶされそうになる。
しかし、マッツの死後、家族のもとに彼のゲーム仲間たちから多くのメッセージが寄せられる。それは、家族がまったく知らなかった「デジタル世界におけるマッツのもうひとつの物語」を明らかにするものだった。
オンラインゲーム『World of Warcraft』の世界で、彼は「イベリン」という名前で生きていた。イベリンは、他のプレイヤーたちの人生に影響を与える存在であり、その中には友情も、そして恋もあったのだ。
この作品の秀逸な点のひとつは、ゲーム内に蓄積されたログデータや、親友たちの証言をもとに、彼のデジタルライフを映像で見事に再現していることだ。『World of Warcraft』のモデルを使用して制作されたアニメーションによって、イベリンがゲームの世界でどのように生きてきたのかを、視覚的に追体験できる。
マッツは、身体の自由を徐々に失う中で、「誰かの役に立ちたい」「自分の存在意義を見出したい」という強い願いを抱いていた。ゲームの中での彼、イベリンは、私立探偵として自分の居場所を見つけ、さまざまな人々の困り事や悩みに寄り添うようになった。そして、多くの仲間が彼の周りに集まるようになる。
一方で、彼はゲーム内の友人たちに、自分が難病を患っていることを秘密にしていた。現実世界では、病気のために周囲から特別な目で見られることが多かった。その視線を、仲間たちからも向けられるのが怖かったのだ。
しかし、最後の最後に、彼が仲間たちに自分の病気を打ち明ける瞬間が訪れる。自らの弱さを認め、それでも仲間たちとつながり続けたいと語る彼の姿は、胸を強く打つものだった。
ゲームの世界で築かれた仲間たちとの絆は、マッツに生きる力を与えると同時に、仲間たちにも多くのものをもたらしていた。イベリンとして過ごした日々は、彼の生きた証そのものとなった。
人の手によって作られたデジタルの世界が、そこに集う人たちの世界を変えていく。
その事実を鮮やかに映し出したこの作品は、こんな奇跡が本当に起こり得るのかと感嘆せざるを得ないほど、衝撃と温かさを残してくれた。『World of Warcraft』を生み出した人々にも、このドキュメンタリーを手がけた制作者たちにも、心からの賞賛を送りたい。
やはり、ぼくが編集者として目指したいのは、自分が関わる作品やコンテンツを通じて、誰かの人生に影響を与えることなのだ。この映画を通して、そのことを改めて再認識することができた。
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コルク佐渡島の『好きのおすそわけ』
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…
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