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コミュニティを編集する

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今週は、箕輪さんが編集をしている僕のコミュニティについての本の入稿が大変だった。本の中身をちょっとずつ、箕輪さんに渡すのだけど、それをどんどん箕輪さんが話すし、ツイートする。急いで完成させないと、発売する前に、中身を全部、箕輪さんにつぶやかれてしまいそうな勢いだから、今度は逆に僕が4章に掲載した箕輪さんとの対談を公開。

4章 コミュニティを編集する

 この章では、本書の担当編集者でもある幻冬舎の箕輪厚介さんと、「コミュニティを編集する」というテーマで話し合った。

コミュニティを運営する方法は、こんなにもコミュニティが溢れていて、人間に絶対に必要なものなのに、びっくりするほど少ししか文献がなく、確定的な情報がない。

そこで、対談は、拡散的になりやすく、情報が整理されていないが、その分、コミュニティについて考えている人には、思考の元になる言葉が出てくる可能性がある。

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佐渡島:僕と箕輪さんに共通しているのは、編集者でありながらオンラインのコミュニティを運営していること。僕は「コルクラボ」を2017年1月に立ち上げましたが、箕輪さんもすぐにコミュニティを作り始めた。

箕輪:僕が「箕輪編集室」を作ったのはその年の6月でした。

佐渡島:最近ではコルクラボについて発言する機会も増えたから、「最近、佐渡島はコミュニティに関することばかり言っているけど、もう編集には興味がなくなったのではないか」と言われることもあります。でも、実はコミュニティを運営するという行為は、限りなく編集という行為に似ていると考えています。

だから、インターネットの世界に対応した「編集者2.0」になろうとすると、必然的にコミュニティプロデューサーにならざるを得ない。自分の中では、コルクラボの立ち上げは、これまでの延長線上のことなんです。そして、じっくりと数年間かけて実行に移したのが僕だとしたら、勢いよく半年ぐらいで一気に立ち上げてしまったのが箕輪さんです。

箕輪:確かに。佐渡島さんと違って、僕は完全に勢いでしたから(笑)

佐渡島:これからの編集者はコミュニティプロデューサーにならざるをえない。このことを説明するためには、そもそも僕らが編集者を目指した原点を語る必要があります。

僕は中学時代を南アフリカで過ごし、本ばかり読んでいる少年でした。帰国後、灘高校に進学した後で、「中国近代文学の祖」と言われる魯迅が作家を志したストーリーを知ります。魯迅はもともと医者を目指していたのですが、ある日映画館に足を運び、日本兵が中国人を殺している戦争のニュース映像を、周囲の中国人がゲラゲラと笑いながら見ているシーンを目撃した。魯迅は周囲の無学さに衝撃を受け、「中国に必要なのは単なる医療ではない。心の医療だ」と考え、文学の道を目指しました。

僕の周囲でも、灘高校には医者を目指す同級生が多かった。でも僕は、魯迅のように「世の中のあり方や、人々の心のあり方を変えたい」という思いが強く、本に携わる仕事をしようと思ったのです。

その後、講談社で編集者の仕事に就きましたが、痛感したのは「本は届かないと意味がない」ということでした。どんなにいい作品ができても、人々が手にとってくれなかったり、理解してくれなかったら、単なる自己満足に終わってしまう。心を変えることはできない。だから、とにかくわかりやすいストーリー、わかりやすい内容を追求して、届けることを重視しました。

でも、だんだん世の中に出回る情報が増えていくと、わかりやすいだけでは作品が読者に届かなくなっていった。この壁を乗り越える方法を考えていたところ、情報爆発の時代だからこそ、身近な人が「これはいい」とコメントしている本が手に取られることに気づいたのです。身の回りの推薦だけが影響をおよぼすって、一周して、本がほとんどない時期と同じになった。(笑)

つまり、本は一人ひとりのファンが、バケツリレーみたいに手渡しで広げていくものであり、多少わかりにくい内容でも、むしろそこから議論が深まっていく。そこで僕は、作品の愛好者を「コミュニティ」として組織することを考え始めたのです。

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箕輪:佐渡島さんの根本に「作品を届けたい」という強烈な思いがあるとしたら、僕には全然違う動機がありました。要は「とにかく世の中をあっと言わせたい、バズらせたい」という思いです。

それを実感したのは、大学生のときでした。当時、インドを一人旅していたのですが、トラブルに巻き込まれ、汚い小屋に監禁されて殺されそうになりました。そのときは命からがら脱出したのですが、安全な場所でまず感じたのは「今すぐネットカフェに言って、このことをミクシィの日記に書きたい」という思いでした。

同じような目にあった時に「こんな世の中はおかしいから、治安を守る人になろう」と感じたら、検察官や警察官を目指すと思います。でも僕は、第一感で「このことをネタにして伝えたい」と思った。そこでテレビのプロデューサーや雑誌の編集者を目指して就活をして、出版社の双葉社に入ったんです。

双葉社では当初、広告部に配属になったのですが、当時世間を騒がせていた「ネオヒルズ族」の与沢翼と知り合いになった。そこで彼から3000万円の広告費を受け取って『ネオヒルズ・ジャパン』という雑誌を作りました。編集部の人が誰も協力してくれなかったから、訳も分からず写真家のレスリー・キーなどを起用して制作していたら、尖りにとがった雑誌ができました。

すると、発売日当日に与沢さんがドライバーへの暴行容疑で書類送検された。それまでお世話になった先輩から「与沢は怪しいんじゃないか、大丈夫か」と言われ続けていたから、僕は「やってしまった」と恐怖を感じました。でも、その先輩からが「先に社長室に行って、『戦略です』と言ってこい」とアドバイスしてくれたから、その通りにしたら社長からは「そうなのか、お前すごいな」と言われて、ことなきを得た。

『ネオヒルズ・ジャパン』は与沢さんのニュースとあいまって、バズりにバズり、3万部が完売しました。そこで悟ったのは、僕にとっては正しいものが伝わることはあまり関係がなくて、世の中をわっと言わせるのが快感だということでした。

佐渡島:聞けば聞くほど、僕とは正反対だ(笑)

箕輪:そうなんです。その後、編集部に移って見城徹さんの『たった一人の熱狂』や堀江貴文さんの『逆転の仕事論』を編集し、その縁で幻冬舎に移籍しました。幻冬舎では再び堀江さんと仕事をする機会を得て、2017年5月に『多動力』を出したんです。

そこでは必死で売っていこうとする中で、HIU(堀江貴文氏のオンラインサロン)のメンバーを巻き込むことを思いつきました。20人ぐらいに『多動力』のゲラを渡し、「電話をかけてくる人間とは仕事するな」といったキャッチーなフレーズをスマホで撮影してもらい、ガンガンTwitterにアップしてもらった。

すると、本の発売前からバズを起こせて、発売後に圧倒的な勢いで数字が伸びていった。そこで、堀江さんの本が売れるときは、まずは堀江さんが好きな層に火がつき、堀江さんの本は普段買わないけどビジネス書は読む層に広がり、もっと広い読者層に延焼していく流れに気づいたのです。

その時に重要なのは、最初の火を起こすところです。「僕自身が最初の火を起こすコミュニティを作ったら最強なんじゃないか」と考え、6月に箕輪編集室を始めたんです。

佐渡島:箕輪さんの場合は、「編集者にコミュニティが必要だ」という仮説があったのではなく、まず先に「堀江さんのファンを巻き込んだら、発売前に話題になった」という成功体験があったわけですね。それですぐに、行動に移した。箕輪さんを見ていると『多動力』に書いてあることをそのまま忠実に実行しているように見えます。

箕輪:本当にそうです。本を一冊作ると、内容が自分に憑依してしまう。コミック版の「多動力」の主人公は、本当に僕なんじゃないかと思いますから(笑)

佐渡島:僕にも似たところがあります。『ドラゴン桜』を編集したときは、登場する全ての勉強法を試しましたから。僕らは世間から「自分を持っている」と思われているかもしれませんが、本を作るという行為に関しては、自分を持っていない。その証拠に、本の内容を素直に真似しますから。逆に、自分が真似られないことは、著者と話し合って修正したり、消そうとするんです。

箕輪:わかります。『多動力』の場合も、1ページでも「違うなあ」ということが書いてあると、気持ち悪くて出せない。腹落ちすることだけを盛り込んでいる感じです。

佐渡島:別に僕らが作者をコントロールしているわけではないけど、作者の中にあるものを、自分がほぼ100%理解してからでないと、出したくない。一回自分のフィルターを通すことで、編集者らしさもでるし、読者にとってもわかりやすいものができると信じているんですよね。

このあとの有料部分は、この対談の続きが読めます。

まだ結構分量あります。

さらに、僕の日記もあります。サポート&コメントをくれるみなさん、ありがとうございます!本当にそれが刺激になって、書き続けることができました。


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