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ほめるのは相手を下に見ている証拠。 岸見一郎さんに聞く、ほめるから抜け出すヒント

平野啓一郎の分人主義とともに、20代の最後に知り、ぼくの30代の行動を大きく決定づけたものがある。

それが、アドラー心理学だ。

アドラー心理学では「他者は、仲間である」と認識することが大事だと言う。人は他者に対し基本的には悪意を持っていないし、こちらが悪意を持たなければ、仲間になれる可能性がある。

このとき必要になるのは「自分が変わらなければ相手も変わらない」という考え方だ。「相手は自分の仲間なんだ」と信頼して、自らを変えていくのが、自分を「さらけだす」ということ。だから、コルクでも、コルクラボでも、「さらけだす」を行動指針として大切にしている。

ぼくにアドラー心理学を教えてくれた人、それが岸見一郎先生だ。

アドラー心理学の第一人者でもあり、『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』の著者としても有名な岸見一郎先生への取材を通じて、ぼくの人との接し方や人生観は大きく変わった。

その岸見先生が『ほめるのをやめよう リーダーシップの誤解』という本を新しく書いた。

以前、『褒めるは、心の声ではなく、技術だ』というnoteを書いたが、褒めるとは、人をコントロールしようとする行為にも繋がり、実は扱いが難しい。この「ほめるのをやめよう」という岸見先生の主張に興味が惹かれ、コルクラボでは岸見先生にゲストに招き、対談を行った。対談の様子をコルクラボのメンバーが記事にしてくれたので共有します。

<記事の書き手 = 西田沙良、編集 = 井手桂司

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岸見一郎(きしみ・いちろう)さん
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの「青年」のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。古賀史健氏との共著『嫌われる勇気』では原案を担当。

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ほめるとは、相手に上から目線で接すること

佐渡島:
今回、岸見先生は『ほめるのをやめよう リーダーシップの誤解』という本を書かれましたが、「ほめる」とは一般的にはリーダーに必要な行為と認識されていますよね。「ほめるのをやめよう」という主張への世間からの反応は、いかがですか?

岸見さん:
「ほめてのばす」を社是としている会社の企業研修に伺ったとき、「講演では、ほめてはいけないという話はしないでくれ」と事前に言われたことがあります。ただ、僕は嫌われる勇気があるので、「ほめてはいけない」という話をしました。

居合わせていた社長さんが気分を害されたのか、中座されたのをよく覚えています。お忙しい方なので仕事だったのかもしれないのですが、「ずいぶん嫌われたな」と感じた自分を「まだまだ嫌われる勇気がないな」と実感したのと同時に、それほど「ほめない」は一般的でなく抵抗がある主張なのだと思い知りました。

佐渡島:
僕はアドラー心理学を読んで、息子たちに「いい子に育ってほしい」と思わなくなったんです。「いい子」という言葉は、上から目線というか、子どもたちを対等に扱っていない証拠だと思います。

ただそうは言っても、全くほめないのも他人と接する上で難しいと思っていて、どうやったら「ほめる」から自由になれるでしょうか?

岸見さん:
ほめる人・ほめられる人の関係は、構えが上下関係になってしまいます。たとえ相手が子どもでも、なにがほめ言葉に聞こえるかを確認することが大切です。相手を下に置くようなほめ言葉は避けるべきだと私は考えます。

ただ、どういう言葉が、ほめ言葉になるかは一義的に決まっていません。そこが難しい。だから、相手に聞いてみて、息子が4歳くらいの頃、複雑なプラレールを組み上げたのが見事だったので、思わず「すごいね」と声をかけました。すると彼は憮然として「大人からは難しいように見えるかもしれないけど、子どもからしたら全然すごくない」と言ったのです。評価されたと思ったのでしょうね。そんなことを頼みもしていないのに、と。

一方、「すごいね」が、喜びを共有する表現であれば、それはほめ言葉になりません。同じ言葉でも相手の受け止め方は変わります。ほめ言葉になるか、感情表現の言葉になるかは、こちら側の意識の問題もありますが、たとえこちらがほめるつもりがなくても相手がほめられたと受け止めることはあります。

ほめることから自由になるとは、上から目線で接することをやめること。そういった前提から始めるしかないので、「ほめるのをやめよう」は手間がかかりますし、簡単ではありません。

佐渡島:
結局は相手の受け取り方次第ということで、相手をよく観察することが大切ですね。

上司と部下って役割の違いであって、そこに明らかに上下関係のあるしゃべり方をすると相手のやる気を削いでしまう。削いでしまった時にそれは「ほめる」しゃべり方になってたんだと、気づけばいいってことですね。

岸見さん:
はい。相手をしっかりと見られていない人は多くて、「ほめたら子どもや部下は喜んでいる」とおっしゃいます。しかし、その人達は、相手にほめ言葉を使った時に相手がどういう反応をしているかに注意していないことが多い。

だから、僕の講演では、自分がほめた時の相手の反応を一度しっかり観察してくださいと宿題を出すことがあります。

佐渡島:
確かに、声をかけた後の相手の観察は重要なことですよね。

岸見さん:
もしも可能であれば、自分の言い方をどう受け止めたかを、時々でいいから相手に聞いて確認してみてください。自分はほめられたら嬉しいという人は多いですが、自分が嬉しいことが相手にも通用するとは限りません。

相手との距離・関係の本質を捉えていかないと、杓子定規に「これはほめ言葉で、これはほめ言葉でない」と縛られて関係がギクシャクすることは往々にしてあります。最初はギクシャクしてもいいのかもしれません。「相手を尊重した接し方になっているか」「相手を下に見るような接し方になっていないか」を意識しながらコミュニケーションをとると、学びが深くなると思います。

相手を低く見積もらない心の姿勢とは?

佐渡島:
最近、僕が面白いと思ったのは、相手といい関係性をつくるには、ほめるのではなく「驚く」ほうがいいという話です。実際、息子たちに素で驚いて「すごいね」と伝えても嫌がられないんです。岸見先生は、「驚く」について、どう思われますか?

岸見さん:
どうでしょうね。「こんなことができるはずがない」と決めつけられた上で、それを実現して「すごいね」と驚かれると、下に見られているようで嫌な気持ちになります。子どもであれ大人であれ、純粋に驚きを伝えるには、相手を低く見積もらないことが必要です。

佐渡島:
そうですよね。相手を低く見積もって、驚くのは違いますよね。相手を勝手に規定しないことが大切なのかなと思います。

色んな人と接するなかで、純粋な驚きを抱くためには、どういう心の姿勢で接するといいんでしょうか?

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