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順風満帆なキャリアなんてどこにもない。 川田十夢さんと谷尻誠さんに聞く、世界に繋がる道の切り開き方

優れている人には、いわゆる天才型秀才型がいる。

何でもすぐできるようになる天才型タイプと、努力で実績を出す秀才型タイプ。僕にはそれぞれ思い当たる人がいる。

天才型は、「AR三兄弟」の川田十夢さん。いまから10年以上も前から拡張現実(AR)の可能性について真剣に考え、ジャンルを越境しながら道なき道を切り拓き、エンターテインメントやアートなどのあらゆる領域において発明を続けている。

秀才型は、日本のみならず、世界で活躍を続ける建築家の谷尻誠さん。デザインアワードや建築賞を数多く受賞する建築設計事務所の共同代表として、独創的なアイデアを生み出す谷尻さんは、建築家の王道を進んできたわけではない。時には焼き鳥屋でアルバイトをしながら、小さなチャンスに真摯に向き合ってきた。

僕はふたりと『TECTURE(テクチャー)』という空間デザインの未来をつくる共同事業を営んでいる。その関係もあり、コルクラボで対談した際に、これまでの道のりを聞いてみたところ、どうやら、全てが全く順風満帆だったわけではないらしい。

川田さんは自分と周囲との違いに悩んでいたし、谷尻さんは建築家として真っ当なキャリアを積んでいなかったため、全く仕事がなかったこともあったそうだ。

ふたりは、いかにして世界で活躍できる存在へと歩んでいったのか? そして、ふたりが組んで活動する理由とは何か? 彼らとの対談内容をコルクラボのメンバーがまとめてくれたので共有する。

<記事の書き手 = 伊賀有咲、編集協力 = 井手桂司

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【写真・左】川田十夢(かわだ・とむ)さん
1976年熊本県生まれ。 公私ともに長男。通りすがりの天才。 開発者。1999年、メーカー系列会社に就職、面接時に書いた「未来の履歴書」の通り、同社Web周辺の全デザインとサーバー設計、全世界で機能する部品発注システム、ミシンとネットをつなぐ特許技術発案など、ひと通り実現。2009年、AR三兄弟結成。

【写真・右】谷尻誠(たにじり・まこと)さん
1974年広島生まれ。 2000年サポーズデザインオフィス 設立。広島と東京の二カ所を拠点 に国内外の様々な分野で多数のプロジェクトを手がける傍ら、大阪芸術大学准教授などもつとめる。

・・・

焼き鳥屋で働きながら、ふらついていた日々。

佐渡島:
谷尻さんは建築家兼起業家として活躍していますが、大学も出ていなくて師匠がいたわけでもないんですよね。どうやって独立したんですか。

谷尻さん:
はじめは独立するつもりはなかったんです。不景気の影響で5年ほど働いていた設計事務所の給料が2,3ヶ月出なくなったので、仕方なくフリーランスになりました。はじめは図面を引くアルバイトをしていて、焼き鳥屋でも働いていました

佐渡島:
焼き鳥屋で働いていたんですか!

谷尻さん:
図面を引くアルバイトだけでは食べていけなかったんです。僕は下請けなのに元受けに提案したりして煙たがられて、仕事がどんどん無くなっていってしまったんですよね。とにかく時間があるので、夕方からの焼き鳥屋でのアルバイトまでは、いつも街をふらふらしていました。

歩いていると、誰がどこで店を出すかっていう情報が入ってくるんですよね。これはチャンスだと思いました。当時は建物を造った経験なんてありませんでしたが、「得意なのでやらせてください」と頼んで担当させてもらいました。お店を建てては他の人に紹介してもらい、その人にも別の人を紹介してもらって、新しい建物を造り続けていました。


遠慮せずに、愛のある「ずうずうしさ」が大事。

佐渡島:
ちなみに、経験がなくても、家づくりの提案はできるものなんですか?

谷尻さん:
今思えば、できてないですね。ほぼ気合でやっていました(笑)。でも、紹介されて作ってを繰り返しているうちに、一年間で10軒造っていたんです。はじめてのことも、「どうやったらできるか」を考えたら、できるようになるんだなって思いました。

佐渡島:
みんな頭でっかちになって、できないものですよね。すごいな。

谷尻さん
雑誌に載せてもらってからは、さらに図々しく行動していましたね。当時はセキュリティも甘かったので、雑誌社の編集室に入っていって編集長の机に資料置いたりしてました。

佐渡島:
正攻法ではないですけど、確実に編集長に写真を見てもらえるやり方ですね。谷尻さんは、頼り方が上手いですよね。

谷尻さん:
遠慮するところを、遠慮しないからですかね。でも遠慮しないほうが仲良くなると思うんです。愛のあるずうずうしさが大事

佐渡島:
たしかに谷尻さんに対談をお願いしても東京には来なくて、「広島きてください」と言われますもんね。でも、わざわざ行くから仲良くなったのかも。


すべての「落ちこぼれ」の希望になりたい。

佐渡島:
とはいえ、建築家っていう仕事は、周りと協調しなくてもできるんですか 。

谷尻さん:
業界的にはすごくアカデミックでひとつの方向に向かっていく傾向があります。『新建築』や『GA』といった専門誌に載ると評価される傾向があります。一方で、一般誌は軽視されていて「一般誌に載った写真は、専門誌には載せません」と言われたことすらあります。

専門誌と一般誌との間に、認められるかどうかの大きな壁があるんですよね。専門誌に載ると認められる、一般紙に出ると仕事は増えるけど認められないっていう状態でした。僕はそれがとても嫌だったので、一般誌にも写真を出すようにしていました。一般誌で支持率が上がってきたら、専門誌でも取り上げざるを得なくなるじゃないですか。そこを目指そうと思ってましたね 。

佐渡島:
専門誌に乗ること以外で認められる方法を開拓しようとしたんですね。とはいえ、専門誌に載るような人たちを見て、焦る気持ちはなかったんですか?

谷尻さん:
焦りはなかったですね。雑誌に出てる人は憧れのような存在だったんです。建築家は良い大学を出て、良い事務所を出て、独立するサラブレッドが多い業界です。一方で、僕は大学もでていないし、師匠もいない。どこの農場かもわからない馬なので、サラブレッドと並ぶとも思っていませんでした。落ちこぼれだと思っていたんです。

佐渡島:
淡々と実績を積み上げてこれたのは、どうしてなんですか。

谷尻さん:
僕が成功したら、落ちこぼれが成功した事例になれるのではと思ったからです。

メディアに取り上げてもらって話をしているうちに、世の中は落ちこぼれが9割くらいだと気づきました。僕がサラブレッドにもし勝ったら、その9割にエールを送れると思ったんです。

優秀な人が成功したら「あいつは優秀だから」で終わりますよね。でも、落ちこぼれが頑張って成功していくのは共感されると思うんです。だから、僕が成功することで、他の落ちこぼれだと感じている人の希望になりたいと思います。


関係を温めるための「兄弟」という呼び名。

佐渡島:
川田さんは、おそらく「優秀だから」って言われてきた側ですよね。AR技術を使って世間の人が考えもしないようなことを常にやろうとしている印象があります。そもそも知能が非常に高い「ギフテッド」だったんですよね。

川田さん:
そうですね。周りと比べても明らかに知能が高くて、学力テストの結果が高すぎて取材をされたり、算数の三角形の面積を求める法則は自分で見つけるものだと思っていたりしました。

実は、幼少期に僕が全然喋らなかったから、親には知的障害だと思われていたんです。いざ診察してみたら、喋らなかったのは頭が良すぎて喋るのがめんどくさいからだって分かったそうです。

佐渡島:
法則は自分で見つけるものだって考え方は普通の人にはないですよね。そもそも『AR三兄弟』というユニットをつくったのはなぜなんですか。

川田さん:
人に接するときの自分の気持ちを入れ替えるためですね。

僕は元々ミシン会社で開発者として働いていたんですけど、やはり出来すぎてしまうんです。他の人ができない理由も理解できなかったので、「どうしてできないんだ」って言ってしまうこともありました。あまりにも冷たい態度をとっていたので、人間関係を上手く築けませんでしたね。

でも、テクノロジーって作っている人間の関係性がにじみ出てしまうんです。だから人と接するときの自分の気持ちを変えようと思って、部下を弟として見ることにしたんです。それがAR三兄弟のはじまりでした。

佐渡島:
気持ちをかえるための「兄弟」だったんですね。

川田さん:
仕事ができるからと僕ばかり仕事をするのも嫌だったんです。部下とも給料はあまり変わらなかったですし。部下を弟を育て上げるような気持ちで接するようになってから、人間関係も変わりましたね。


社会に理解してもらうために、とにかくウケたい。

佐渡島:
川田さんはずっと前から「ミラーワールド化」を語っていますが、周りになかなか理解されないと思うんです。ひとりでやるしかない時間もあったと思うんですけど、どのように過ごしていたんですか。

川田さん:
基本的には研究するのが楽しくてしょうがなかったです。研究対象を観察して、動きがあったら点と点をつないで……ということをひたすら繰り返していました。

佐渡島:
研究対象にはまっていく感覚だったんですね。

川田さん:
表現欲があったんです。音楽とか文章とかで自分の考えを表現したいのと同じです。でもギターを弾くのは、他人の技術に乗っかることになるじゃないですか。音楽理論はバッハが作っていて、音楽の記録方法として譜面が考えだされて、ギターを作った人がいますから。他人の技術で何かを表現するのは嫌だったので、真っ黒な画面から何かを作り出す開発は楽しかったですね。

佐渡島:
ギターを弾くことを他人の技術に乗っかっていると捉えるんですね。他人の技術に乗りたくない気持ちが強いんですね。

川田さん:
今もその気持ちは強いですね。

佐渡島:
幼少期から周りとの違いを感じていたと思うんですけど、どうやって社会との距離を縮めていったんですか?

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