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"メタ認知"をするのに、般若心経がいい!?

僕は作家の才能を見る時に、「観察力」があるかどうかを見る。観察力があると、吸収が早いから成長する。

しかし、どれだけ観察力がある人でも、簡単に観察できないものがある。それは、自分自身だ。

自分を観察することに長けていれば、おのずと自分の優れているところ、足りないところが見える。一時的な感情に流されることもなくなる。でも、自分をメタ認知するのは難しい。

僕の大好きな本、『insight』には、95%の人が「自分は自己認識ができている」と思っているものの、本当に自己認識ができているのはわずか10~15%だったという調査事例が紹介されている。

ほとんどの人がメタ認知ができない要因は、自分の事は自分が一番よくわかっているという「思い込み」らしい。

『insight』では、思い込みから脱却するには、内面的自己認識と外面的自己認識のふたつのアプローチが必要だと説かれている。前者は「自分の価値観、情熱、願望についての内省的な理解」で、後者は「外側から自分自身を理解すること、つまり他人があなたをどう見ているかを知ること」だ。

2019年に『insaight』を読み、2020年は、このふたつのアプローチにより自己認識を高めることを意識して過ごしてきた。特に、外面的自己認識は、苦手であるという前提に立って行動をした。

外面的自己認識は、他人から率直なフィードバックをもらうしかない。今年は、いろんな人に自己開示をし、フィードバックをもらってきた。同時に、内省を深めるために、坐禅を組んだり、瞑想をしたり、ヨガをしたり、内面的自己認識のための時間を意識的につくってきた。

そして、自分を観察することについて、色々な人と話をしていると、議論はいつも同じところに行きつく。

仏教だ。

そもそも「観察」という言葉自体が、仏教用語なので当たり前かもしれないが、禅もヨガも瞑想も、すべては仏教をルーツにしたもの。自然と仏教について学びを深めたいと思うようになった。

先日も、京都のお寺で、和尚さんから説話を聞かせてもらった。

面白いと思ったのが、仏教の経典には、八万四千通りの煩悩が書かれており、それをなくす為の八万四千の法門も書かれているそうだ。「こういう悩みを持っているなら、こういう考え方を持つと、気持ちが楽になる」という考え方の提案のストックが、経典には詰まっている。

では、経典を読むとは何かと言うと、自分が感じている悩みや苦しみが、自分ひとりの固有のものではないことを知り、メタ認知する手段なのだ。

とはいえ、経典を読むのは、知識が必要だし、読み込むには恐ろしく時間がかかる。そこで、多くの人がメタ認知できるように、経典に書いてある大切なエッセンスをまとめて、編集したものが作られた。

その代表格が「般若心経」だ。

読誦経典として広く知られている般若心経だが、玄奘(げんじょう)が『大般若波羅蜜多経』という全600巻、文字総数600万という、あまりにも膨大な文章を276文字に編集したものだ。

わずか300字足らずの本文に仏教の考え方の心髄が説かれていて、詳しい内容については、数年前に話題になったロック風にアレンジした現代語訳がわかりやすいかもしれない。

また、大衆芸能として知られる「落語」も、仏教がルーツにあり、その土地のお坊さんが、村の人たちをお寺に集めて仏教の話を聞かせた「お説教」が元になっているそうだ。「落語の祖」と言われている安楽庵策伝も、豊臣秀吉お抱えの噺家でありながら、もともとは浄土真宗の説教師なのだ。

話の途中で村人たちが退屈しないよう面白い話を入れ、最後には尊い仏の教えで終わる。この話術が発展して落語になったそうで、落語にお坊さんが登場する話が多いのも、このことを知ると納得できる。

こういった話を聞くと、仏の教えを多くの人が受け取りやすいように、様々なアプローチをしてきたことがわかる。わかりやすく編集したり、物語調に変えてみたり、時代時代にあわせて「届け方」を進化させてきたのだ。

コルクでも経営理念や行動指針に書かれている言葉を社内全体に浸透させるために、社員向けのマンガを作る仕事を引き受けることがあるが、全く同じだと思った。

そして、和尚さんから、メタ認知に最も大切な心構えを教えてもらった。

それは、何か起こった時に「そういうものだ」と心の中で唱えること。

生きていると、自分の力ではどうしようもない、様々な予期せぬことが次々と起きる。その度に、「どうしてオレが」とか「なんでこんな目にあわねばならないのか」と思ってしまうと、冷静でいられなくなる。

だから、「そもそも人生は、そういうものだ」と唱えてみることで、心の中を静める。観察ができる。

これは、何が起こるかわからない人生を受け入れることでもある。

生きていると、当たり前に思うことが自然と増えていく。明日も今日と同じような日常が続くだろうと思うし、家族や友人が急にいなくなるなんて誰も思わない。でも、震災や疫病によって、当たり前は当たり前でなかったことを、ぼくたちは実感する。

当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなった時に、人は大きく動揺する。だから、この世の中には、当たり前のことなんて、ひとつもないと思うことが大切だ。そして、今ある目の前のモノゴトに感謝をする。

この話を、和尚さんから聞いて、本当にその通りだと感じた。

般若心経の中には、こういう一節がある。

"是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減"

この世のあらゆる存在は実体を欠いていて、生じることもなく、滅することもなく、汚れたことも、浄らかなことも、増えることも、減ることもない。現代語訳すると、こういう意味だ。

「コレもない、アレもない」と、すべてを否定し、当たり前など何処にもないことを伝えるパワーが、般若心経にはある。

ヨガや瞑想をしていても、インストラクターの先生から「手放しましょう、手放しましょう」とよく言われるのだが、根本のところで思想が繋がっているからだろう。

2021年は、仏教を深く学ぶ年にしたいと思う。


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